とりあえず日々の出来事(日記)や思いつくままの事などを書いてまいります。

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2017年

11月

21日

楽しくなくっちゃボランティアじゃない

本日、南丹市の国際交流会館でmottoひょうごの事務局長をされている栗木剛氏の講演会を聞く機会がありました。

 

開始早々に記録写真を撮っている関係者に「講演会をしている写真が要るでしょう、じゃぁ今から撮ってください」と呼びかけ演台でポーズ、その後、演台を離れて客席の中に入っていき、マイクを使わず大きな自声で話しを始められました。その一連の所作を見聞きした参加者は、ぐいぐいと栗木氏の世界に引っ張られていきます。

 

豊富な講演経験から、参加者の考えや日頃の思い(や悩み)を次々に言い当て、笑いを誘います。そして「ボランティアは自分自身が認知症にならないための準備体操です」と断言し、まず1つ目に「家を出ること」、2つ目に「誰かに出会うこと」、3つ目に「人と話をすること」、この簡単な3つの事が大切であると、わかりやすい事例を挙げながら説明されました。そして、こういったことを実践することで、自分ともに、その地域も健康になっていくのだと力説されます。また、家に引きこもっている人(特にプライドの高い男性に多い)を一人でも多く、ボランティア活動に誘いましょう、難しいこと、高尚なこと等々の自身の意識も含めて、取り去り、もっと平易に、気軽に参加してもらうような自然な活動にしていきましょう、と。

 

講演の途中で話を止めて参加者のテーブルごとに話し合う時間を作り、会場を和ませられます、それは別の意味で、本日のイベントの目的をスムーズに進める意味があったと思います。

 

最後に、高齢化社会の中で、ボランティア活動は、健康寿命を延ばすクスリで、副作用として「笑い」や「喜び」が生まれますと締めくくられました。

 

人の為に、社会の為に、という意識が強すぎると、何事も気持ちが億劫になり、なかなか一歩が踏み出せないことになりますが、氏の言われるように、まずは自分の健康(認知症対策)のために始める、ということなら、自分でも出来そうだと感じました。いい話でした。

 

 

2017年

11月

17日

クニッテルフェルト通り

JR亀岡駅前も秋ですね~。

 

 

2017年

11月

14日

日吉ダムと離村 Ⅱ

村にあった民家を資料館の敷地に移築した民家
村にあった民家を資料館の敷地に移築した民家

このダム建設、移住に関しては、当時、ダム成金とか、ダム長者のように村人が揶揄されたようです。実際、移転された土地には、立派な一戸建てが並んでおります(亀岡にもあります)。また補償金なども払われていたと思います。あれから30年、「村」は消え去り、また当時住んでいた人々も世代交代が進み、かつての「村」の様子を知る人も少なくなっているようです。今回の写真展にえがかれた子供たちもずいぶん歳をとっていることと思います。長年住んだ家屋や神社・寺、その他の景観も今見ることは出来ません。

 

少子・高齢化社会の結果として過疎化、耕作放棄地などが言われて久しい現代ですが、それでも、その「村」(土地や景観)は存在しているわけです。一方、ダム建設により、今まで住んでいた「村」そのものが無くなる、水没する、というのは当事者にとって、また社会として、どう解釈すればよいものでしょうか。土地や家は、代替地が与えられるのかもしれませんが、古くから行なわれてきた習慣、祭りごと、組織の運営、それらを包括した地域文化が消失したことになります。いずれ数十年後、100年も経たないうちに、その村は忘れ去られることになるのかもしれません。

 

この在りし日の写真は、それらの記憶の消失に抗う1葉となるのでしょうか。

 

 

2017年

11月

13日

日吉ダムと離村

日吉ダムをご存じでしょうか。南丹市日吉町にある桂川・保津川の上流にある大きなダムです。ダムに隣接した施設としてスプリングひよしは、日帰り温泉として人気があります。

今から約30年前、このダムの場所に2つの集落があり、154世帯、約500人の人々が生活していました。ダムの建設により、村落は湖底に沈み、人々は隣村へと移住していきました。離村の際、大半の家屋は解体され、貯水に影響のないようにされたようですが、道路や自然の地形などはそのままに、今でも水の中に景観をとどめているようです。

ダム建設が決まって離村するまでの8年間、一人の写真家が、この2村の風景、人々の暮らしぶり、老若男女の表情を撮りつづけたのです。新保隆久という写真家です。

今、日吉ダムに近い南丹市日吉町郷土資料館(府民の森内)で、新保隆久氏の写真展を開催しています(本日行ってきました)。彼は、入村時、とても偏屈な人だったそうですが、やはり8年という歳月により、人々との関係は自然と打ち解け、濃密になっていったのでしょう。写真に写る人々のカメラに向けたまなさしから、その信頼関係が伝わってきます。とても心温まる展示でした。今月26日まで開催しておりますので、お近くの方はぜひ足を運んでみてください。入館料は大人200円です。

 

 

2017年

11月

08日

亀岡・鍬山神社の紅葉

京都市内の沓掛インターから京都縦貫道を北部へ進んだ際に、最初のトンネルをぬけると晴れた日でも一面雲海の世界、視界は真っ白、ということがよくあります。それほど「亀岡の霧」は京都府下でも有名な自然現象です、特に今の時期。このことは周囲を山に囲まれた自然環境(亀岡盆地)と桂川(保津川)の水分が発生の要因といわれております。

その昔、この地域は湖であったといわれております。そこで大国主の神(神話の世界です)は、溜まった水を抜くために、現在の保津峡を開削して豊かな土地を生みだした、というのです。その際に使用した「鍬」を積み重ね置いたことから(置いた場所がこの地であったことから)命名されたといわれております。ただし、この話に関する文献は皆無ですので、いわゆる言い伝え(伝承)ということでしょう。

一方、民俗学の観点からみれば、古代神社の祭祀は農耕神であることが一般的であり、豊作祈願のために神社を置いております。農耕作業に欠かせない「鍬」を祀る場所(山)だった、とするほうが、妥当なところと思います(し、そういう説もあるかと思います)。

 

ま、亀岡→盆地(霧の都)→もと湖→保津峡谷開削→水抜き(保津川下り)→亀岡の繁栄、と捉える方が興味深い話ではありますね。

 

 

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