◆口丹波民俗誌◆

第4章 年中行事

年中行事とは

 年中行事は、毎年くりかえされる季節、暦ごとの行事(まつり)のことである。自治体が催すイベント、学校行事等のように、近年になって作られた行事もあるが、ここでいう年中行事は、古くから農耕儀礼として稲作などの生産過程に合わせて、その地域、集団の信仰や風土などと深く関わりながら生まれてきたものである。民俗学では、1年の周期の中で行われる行事が、正月を中心とした1月と、盆を中心とした8月に集中し、かつそれぞれが対称的な形式を持つことを指摘している。たとえば、正月の門松に対しては盆前にある七夕の笹の葉、1月15日のトンドに対して盆の送り火(精霊送り)、門松や笹は、神の依り代(目印)として、トンドと送り火は、祭りの終了を告げる神送りの儀礼として、構造的に似通っているのである。一方は、神の行事として、一方は仏の行事としての色彩はあるものの、本来同一のものであったとする説がある。正月の季節は冬、山仕事に従事する人々が、木々の生育と身の安全を祈願する。その対象は、山が示す「上」の方向、あるいは山の向こう側にある神秘的なもの、すなわち神となるのではないか。盆の季節は夏、水田に稔る稲の成長を祈り、大地の活力を意識するのは、連綿と続くその家の先祖の守り、または、その先祖が浄化した仏の存在があるからではないだろうか。仏教の思想では、西方に浄土があるという。大地に広がる水田のその先の世界観が、仏教の影響を多分に受けているものとみることは出来ないだろうか。正月と盆はそれぞれ別々の意味合いを持ちながら、広い視点で見た場合、人々の生産活動、日々の生活の中の節目として、軌を一つにした行事であると言えるのである。祭りの日は、ハレの日と言う。対して、ケの日は労働をしている通常の期間である。ケがあまりに長くなるとケが枯れるという。精進・潔斉をして、神を迎え、祭りを行うことで、ケが枯れないよう、エネルギーを蓄える。 年中行事には、その内容や人々の捉え方に多少の違いはあっても基本的には、先に述べた構造を持つ。ここ丹波地方においても1年を通じていろいろな祭り、行事がある。正月や盆のように、どの村でも、ほぼ共通のおこないがあり、日付も同じものから、村独自の古くから続いてきたものもある。神迎え・送りが省略され、一部分だけが残り、意味が分からなくなったものもある。しかし、どの行事においても、村落共同体の中で、あるいは個々の家の中で、毎年繰り返し行なうことが、生産の向上や家族の安定を祈願するといった意味を持つものであることは明らかである。この章においては、日付順に、調査した5カ村の年中行事を列挙してみる。

 

 

 

口丹波の年中行事

1月~3月

正月〔1月1日〕

 若水は、家の主人が朝早く井戸から汲んでくる。雑煮には、みそ汁の中にコイモ(オカシラ)・ダイコ・ニンジンなどを入れる。余った雑煮は、牛に食べさせる。門松は、3段の枝つきの松を、梅・笹といっしょに門口に設置する。しめ縄は、7、5、3に藁を垂らして作る。米俵を1俵、新しいムシロの上に乗せ、その上にオカガミモチを2つ乗せ、松を飾った。 <神前>

 午前O時を過ぎれば、村の神社に参る。各家の主人は、夜明け前に若水を汲んで、神棚に供える。家の戸は、「福が逃げる」といって日が登るまで明けないし掃除もしない。朝になると子供たちは、各家をあいさつに回り、必ずみかんをもらう。門松には、ネビキマツ(根っこからひいた松)を使い、ウラジロ、ユズリハを飾る。しめなわには、左から7、5、3と藁を垂らす。倉・小屋などの入口にもしめなわを飾る。家の近くの溝端にも杭を打ってしめなわを飾る。家の神棚に供えるものは、モチ・ミカン・ツルシ(柿)・クリ・ツクネマメなどである。雑煮の材料は、モチ・イモ(ズイキイモ)・里イモ(親イモ)・菜類・かつおぶしを、味噌汁で味付けする。雑煮は、飼っている牛にも食べさせる。<赤熊>

 1日~3日までは、何もせずに休む日とされている。神社に参り、寺ではその年の法事の発表がある。各家では、モチを鬼にたとえて雑煮(ダイコ・コイモなどを入れた味噌汁)を食べる。<犬飼>

 年が明けると、すぐに区長が鳥羽田神社に供えたシキビを各家に配る。この習慣は、江戸時代ごろ、毎年の暮れに、娘のいる家に白羽の矢が当たり、娘が人身御供として神社へ連れていかれ、正月が明けると必ず死んでいたので、家のものが引取に行くという言い伝えからきているという。1日の朝は、くろまめ・ごまめ・ごんぼ・にんじん・かずのこ・雑煮(里イモ・だいこん・にんじん・もち・味噌汁)を食べる。新年のあいさつは、八幡さんに参り、個人的に鳥羽田神社(奥の宮と言われている)に参る。<鳥羽>


初常会〔1月2日〕

 正月の挨拶もかね、1年の取り決めをする。 〈赤熊〉 

 

ナイゾメ〔1月2日〕

 藁を打ってミコナワをない、トシトクサンに供える。またトシトク棚に、藁細工(藁にモチを付ける)を供える。<鳥羽>


〔1月4日〕

 寺の住職から、シャクシ・コブ等の返礼がある。<犬飼>

 

ホナガ〔1月4日〕

 山の仕事始めの日。山から柴を出してきて、ミコナワでくくる。この日までは山に入らない。<鳥羽>


新年会〔1月5日〕

<赤熊>

 

オヒマチ〔1月6日〕

 上・中・下に分かれ、当番の家がごちそうをして食べる。この日愛宕山に参る。<鳥羽>

 

七草〔1月7日〕

 お粥の中にモチと七草を入れて食べる。<神前>

 ナズナの粥を食べる。<犬甘野>

 塩味のフクワカシノカイ(粥)を食べる。<犬飼>

 村の二つの神社に参る。七草粥を食べる。<鳥羽>


針仕事〔1月9日〕

 この日より針仕事を始める。<鳥羽>


伊勢講〔1月11日〕

 各講が集まって宴会をする。<赤熊>


お日待ち〔1月14日〕

 カブウチが集まって、ニッテンサン(日天さん)に拝み、豊作を祈った後、スキヤキを食べ、夜が明けると散会する。<神前>


小正月・トンド〔1月14日〕

 この日の夜、正月に使用したしめなわ、門松を辻などで燃やす。トンドで焼いた鏡餅を食べると夏痩せしない、トンドの灰を家のまわりに撒いておくとヘビが入らないと言う。<犬甘野>


トンド〔1月15日〕

 しめかざりなどを道路の辻で焼く。その時にモチを焼いて神棚に供える。残った灰を持ちかえり、家のまわりに撒いておくとクチナ(へび)が来ないと言う。<神前>

 各家で飾ったしめなわを神社の前で燃やす。この火にあたるとカゼをひかないと言う。またトンドの灰を持って帰ると、ヘビが来ないと言う。この火でモチを焼き神棚に供える。子供達は、書き初めを燃やす。<赤熊>

 この日の朝は、あずき粥を食べる。<犬甘野>

 辻々でしめなわを焼き、生竹を焼いて割って大きな音をさせた。トンドノカイ(モチの入ったあずき粥)を食べる。トンドで焼いた灰を家のまわりに撒<とヘビが来ない。<犬飼>

 オシメサン、門松を燃やす。この火で焼いたモチを食べると夏痩せしないと言う。この灰はヘビよけになる。<鳥羽>


節分〔2月〕

 年をとる日であり、豆を妙って、自分の年より一つよけいに食べる。またその日に限って麦ごはんを食べた。イワシの頭をとってヒイラギの葉に付け、門口にさす。これは悪魔が入ってこないようにという。<神前>

 鬼が来ないように、ヒイラギの葉にイワシの頭を付け、家の門口や各人口に飾る。年豆を自分の年の数だけ食べる。<赤熊>

 ヒイラギの葉にイワシの頭をさし、家の出入り口にさしておく。<犬甘野>

 家の出入り口にヒイラギの葉にイワシをさした「ヤクザシ」をつける。各家では、モチをつき、白マメ(大豆)を妙って神棚に供え年の数だけ食べる。「ふくわうち」と3回唱えて台所へ豆をまき、「おにわそと」と3回唱えて門口へ豆をまく。残りの豆を残しておいて、その年始めて雷が鳴ったときに食べると、雷よけになると言う。<犬飼>

 年越しイワシ、年まめ(大豆)を食べる。<鳥羽>


初午・オイナリサン〔2月午の日〕

 お稲荷さん(人見家にある)に、あずき御飯・からしあえを供える。この日稲荷講があり、天井(破風)に水を入れた徳利をぶら下げた。<神前>

 初午の日には、あずき御飯を作り、イナリサンの社(山の麓に数カ所ある)へ参りに行<。<犬甘野>

 あずきめしを作り、オイナリサンに参る。<鳥羽>


ヤクジンサン〔2月19日〕

 男の42歳になった人が、厄除けのもちを村中に配る。<鳥羽>


彼岸〔3月〕

 僧侶が各家の仏さんを拝んで回る。

 

4月~6月

ひなまつり・節句〔4月3日〕(旧3月3日)

 始めての女の子があった時、親元から人形が送られる。この日、ヒシダンゴ(ヒシモチ)を作る。


トコナゲサン〔4月17日〕(他に7月17日)

 弘法大師が唐から帰ってきたとき、3つ投げたうちの一つを「トッコ」と言う。<神前>


端午の節句〔5月5日〕

 鯉のぼりを揚げる。屋根の上にショウブを飾った。<赤熊>

 始めての男の子があった時、親元から吹き流しが送られる。節句の宵の夜(5月4日)、菖蒲・ユムギを屋根に上げる。ツマキ(もち米と米を蒸して笹の葉に包んだもの)を作る。この日、菖蒲湯をした。<犬甘野>

 菖蒲の節句といってチマキを作って、人形を飾る。<犬飼>

 始めての男の子に人形を贈る。チマキ・カシワモチを作り、菖蒲を屋根の上に上げる。<鳥羽>


ヨーカビ〔5月8日〕

 テントバナと言って山つつじを竿に括って庭に立てた。<神前>

 テントバナと言って、竹の先にシキビ・赤花(ツツジ)を取り付け庭に立てる。<赤熊>

 シキビを竹の先に付け庭に立て、ヨーカビダンゴを供える。<犬甘野>

 ツツジ(赤花)とシキビを竹の先に十文字に付け、庭に立て、ヤマカゴの上にミ(箕)を乗せ、ダンゴを供える。お寺では甘茶を頂いた。「卯月ヨウカは虫がわかん」と言った。 <犬飼>

 ツツジ(赤)とシャクナゲ(紫)を竹の先に付け、立てる。ヨーカビダンゴを供える。 <鳥羽>

 

愛宕講〔5月8日〕

 愛宕さん(愛宕神社)に揃って参る。その日の夜を三夜待ち(サンヤマチ)と言う。 <神前>


田植え休み・〔7月~〕ハゲッショ〔6月~〕

 6月中旬から7月末頃まで草取りで忙しい。その間、田植え休み、と称して数回、ボタモチを作る。7月のはじめ、ハゲッショといって、ボタモチ・鯖寿司などの御馳走をし、田植えを手伝ってくれた人にお礼をする。<鳥羽>

 百姓の休む日。もちをつく。嫁は婿と一緒に実家へ帰る。この婿のことを「ハゲムコ」と言う。実家では御馳走をしてくれる。<赤熊>

 6月ごろより田植えが始まり、ハゲッショまでに植え付けを完了しなければならない。<犬甘野>

 ハゲッショの日、各家でダンゴ(もち米と小麦を半々で粉にして蒸したもの)を作る。<犬飼>


〔6月末日〕

 この日は一年の半分であるとして神社で御神酒をのむ。<赤熊>

7月~9月

御田植え祭り

 古代、稲作過程における田植えは、神事であった。万葉集に歌われた「~しろたえの、衣ほしたる~」の白い衣は、田植神事を執り行う早乙女の装束だった、と民俗学者の折口信夫は説明している。ここ口丹波においても、実際に田植えをするわけではないが、稲の成育を祝う祭礼として、御田(オンダ)と称した行事がある。

 

御田(オンダ)松尾神社<犬甘野>の御田植え祭り

日時 :7月卯・酉の日、午後2時~開始

参加者:宮総代(4人)・牛つかい(1人)・太鼓叩き(1人)・シロカキ(2人)・ソートメ(2人)

場所 :松尾神社の本殿前(上の壇をウエノマチ、下の壇をシタノマチと2か所の田に見立てる)

行事の順序:

①田のまわりを回る。

②牛使いが、その田を耕すまねをする。カラスキの下にコマが付いている。ホウの木の葉で作った「牛」をカラスキの先につける。

③太鼓を叩き、「水はなんなん、早苗は上々」と言う。(以前は田植え唄があった)

④シロカキとソートメ(早乙女)が田を7回半行き来する。ソートメは犬甘野の長男が行なうものとなっている。田植え用の麻の着物・一文字傘・赤いタスキ・おこし・帯を付ける。榊で扇子を払うようにして植えるまねをしながら進む。

⑤ウエノマチは午前中のことであり、終了後ゴクサン(昼食)を頂き、その後、シタノマチ(午後)を植えることになっている。


ミナズキサン〔7月31日〕

 お宮さんに参り神主が御祓いをした。この日、盆踊りがあった。<神前>


タッチョウマイリ〔8月2日〕

 ラントウの墓掃除をし、花を供える。<赤熊>

 

タチマイリ〔8月4・5日〕

 嫁に出た人などが、家に帰ってきて、墓参りをする。<鳥羽>


墓掃除・七日盆・タッチョマイリ〔8月7日〕

 墓掃除。<神前>

 七日盆と言って、寺にあるラントウ(石塔)の掃除をし、その後お坊さんに、ラントウをおがんでもらう。<犬甘野>

 タッチョマイリと言って、嫁に出た娘が帰ってきて、墓参りに行<。<犬飼>


盆の行事〔8月9日~〕

 13日の夕方、ホトケさんを迎える。溝・川でオガラを燃やす。新仏(シンボトケ)の家は、仏壇の前に台を作り、その前にハシゴを掛ける。野菜・おはぎ・モチを供えた。送るときは、16日の朝、川へ流した。23日は、地蔵盆。仏壇にお供え物をして、ご詠歌をあげる。<神前>

 13日には、憎が各家を拝んで回る。昼、オガラを燃やして、ホトケサンを迎える。 15日の朝、暗いうちに、仏壇に供えたものを本梅川へ流す。ホトケサンが帰るのである。新仏のある家では、シンダナと言って、ヒノキの葉で屋形を作り、オガラでハシゴを付ける。その中には、新しい位牌を入れる。この棚は、24日のウラボンまで置いておく。ウラボンには、ミハカ(埋め墓)の方に参る。<赤熊>

 9日は、ホトケサンムカエと言って、穴太寺(曽我部町内)までホトケサンを迎えに行く。 13日の夜、タイマツを燃やし、ホトケサンを家に迎える。新仏のあった家では、仏壇の前に棚を作って祀る。15日か16日の朝、ホトケオクリと言って、盆の期間のお供え物などを川に流した。23日は、地蔵盆で、六地蔵を回る。新仏は、その後に送る。<犬甘野>

 9日は、穴太寺ではオショライムカエの行事がある。 13日の夕方、オガラの木で迎え火をする。新仏のあった家は、ヒノキの葉で館を作り、位牌を祀る。 15日の夕方に送り火をする。23日は地蔵盆で、田にあった無縁仏に子供が花を供えた。新仏の家は、この日まで祀ってお<。<犬飼>

 13日、仏壇の掃除をする。夜、門先でオガラを燃やす。仏壇の前に蓮の葉の上に乗せな野菜を供える。15日の朝、供えたものを川へ流しに行く。この夜、門先で送り火をする。<鳥羽>


湯立て〔9月3日〕

 日慈谷神社へ巫女が来て、神前で踊り、釜で湯を沸かす。村の人は手弁当を持ち寄り、一緒に酒を飲んだ。この日、相撲取りがあった。<赤熊>


十五夜・いも名月〔9月〕

 ススキの穂とおはぎを供えた。また三日月のたびごとに、クロマメのごはんを供えた。 <神前>

 いも名月の日、サトイモをヨウジバシで突いて、その穴から月をのぞくと目の病気にならないという。<犬飼>

 エダマメ・サトイモを蒸してお月さんに供えた。<鳥羽>


コンピラさん 〔9月10日〕

` 子供の相撲取りがあった。<神前>


法会(ホウエ)〔9月15日〕

 上所は行者さん、中所は薬師さん、下所は観音さんを祀り、それぞれに集まって御詠歌をあげ、一晩籠る。<犬甘野>

 

10月~12月

秋祭り〔10月15日〕

 旧暦の9月9日(くり節句)までに、松尾神社のしめ縄を架け替える。当日、参道に提灯が並び、子供らが太鼓を叩<。<犬甘野>


秋祭り〔10月17日〕

 氏神の祭り。<神前>

 この日、家ではもち・甘酒を造って、日慈谷神社に参る。神社では太鼓を出しで叩いた。 17日という日は、昔の亀岡藩主が決めたものだという。<赤熊>


秋祭り〔10月21日〕

 八幡宮の秋祭り。曳き山が出て村中を八幡宮まで曳いて歩いた。準備は8月頃から始める。<鳥羽>


秋祭り〔10月22日〕

 明治以前には、10月17日に犬飼で天神さんの祭りがあった。現在も小字名として「天神垣内」という地名が残っている。今は、曽我部町として、余野神社の秋祭りを行う。「曽我部村六ケ村」と言って、6年に一度、輪番で神輿を担ぐ番が決まっていた。まわり地蔵(各寺が保管している土人形)が回ってきた時、祭りの神輿担ぎをする。(順番①寺村②犬飼③法貴④中村⑤春日部⑥南側・西側・重利) <犬飼>


イノコ〔11月亥の日〕

 新しく取れた藁でイノコを作り、地面を叩き、最後に屋根の上にあげた。ぼたもちを作り、この日からコタツを入れる。<神前>

 モグラ(ムグロとも言う)が田に入らないよう、ジュウノウで田を叩いた。苗代の淵を叩くとムグロが入らない。子供達は、藁つと(藁を束ねたもの)を持ち、各家からぼたもちを貰いに歩く。この日、コタツを始める。<赤熊>

 子供達が藁で作ったイノコで地面を叩く。この音を聞くとダイコンが太るという。各家では、ぼたもちを作る。<犬甘野>

 新穀の米でぼたもちを作り、庭の神さん(百姓道具の神さん)に供える。子供達は、イノコ(薬のつつ)を持って地面を叩いて家を回る。その日、ダイコン畑を荒らしても咎められなかった。(大正期まで行っていた)「イノコの晩に重箱ひろて、あけてみたれば、ほこほこまんじゅう、にぎってみたれば、重兵衛さんのきんだま」「イノコのぼたもち祝いましょ、おひつにいっぱい祝いましょ」などと歌って回る。終了すれば、イノコを柿の木に吊るしておく。早く柿が熟するという。この日からコタツをいれる。<犬飼>

 各家でぼたもちを作り、神棚に供えた。この日からコタツを入れる。「亥の日が過ぎれば、ダイコンを炊いても苦くない」と言う。<鳥羽>


エビスさん〔11月20日〕

 エビスさんの人形に鯛を供える。また赤飯を作る。<神前>


針供養〔12月8日〕

 針でけがをしないようにコンニャクに古い針をさした。<犬飼>


コトハジメ〔12月13日〕

 煤払い、神棚の掃除をする。奉公人は、親元へ帰る。<犬甘野>


冬至〔12月〕

 この日、カボチャを食べれば、中風にかからない。<鳥羽>


虫供養〔12月27日〕

 オハギを作り、神さん、仏さんに供える。<神前>


正月の準備〔12月28日〕

 しめ飾りは、各神さん、農具、三宝さん、トシトクさん、仏さんにする。三宝さんには、三つ重ねのかがみもち(うるう米を入れた餅)と男松を供えた。しめ飾りは、その他、門口、納屋、隠居、井戸、便所、馬屋にした。<鳥羽>

 

 

 

 

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