Bike~ バイク・・・見知らぬ土地への旅

我々の世代で映画「イージーライダー」を知らない人は少ないのではないでしょうか。1970年代、アメリカ・ニューシネマの代表的作品です。ピーター・フォンダ、デニス・ホッパー演じる若者2人が、アメリカ大陸を横断し、保守的なアメリカ世相がまだ残っている各地の町で若者文化の退廃的な姿を描きました。ステペンウルフ「ボーンツービーワイルド」、ザ・バーズ「ミスタータンブリンマン」などの、当時のウェストコーストサウンドの挿入歌とあいまって印象的な映画でした。

 

その映画を中学生の頃に見た私は、バイクでのツーリングに強いあこがれを持ちました。バイクの排気量やエンジン回りなどのメカニズムではなく、バイクで旅する、その行為にひかれたというわけです。

ホンダ スーパーカブ(1972年~1975年)

 今は高校生の2輪免許は禁止というところも多いと思いますが、僕らの高校時代は、自由でした。高3時期には、誕生日が早い者は、なんと、夏休み中に自動車の普通免許を取り、秋の学園祭で、資材運搬などに活躍する生徒もいたものです。
 そんな高校でしたので、通学には50ccのバイクが許可されておりまして、私は免許を取って、高校2年のときから、ホンダスーパーカブに乗っておりました。スーパーカブのミッションは変則的でしたね。ローは後ろのギアを踏み込んで、セカンド→トップへは、前のギアを踏み込む・・・ではなかったでしょうか?そのたびにガクン!とバイクに衝撃が伝わる・・・懐かしい。

スズキ バンバン125(1976年~1980年)

九州のツーリングにて
九州のツーリングにて

 スズキの2サイクル単気筒、砂地でも空気を減らせば走れる、という極太のタイヤが印象的でした。いまでもこのシリーズのバイクがあるようですが、スタイルはかなり変りました。私は、このバイクで、九州一周のツーリングに出かけました。ちょうど大学2回生の夏ころだったでしょうか。途中の民宿で出会った男性を後ろに乗せて、イージーライダー気分の旅でした。九州では、高校の修学旅行で巡った場所を、再確認しておりました。行きは国道2号線を一路西へ西へ、夜中に瀬戸内の工場地帯の幻想的な明かり(煙突から燃え上がる炎など)に感銘をうけました。このバイクの難点は、ガソリンの補給、および2サイクル用オイルの注入時、いちいち荷物をくくりつけたシートを上げないといけなかったところです。

 このバイク、タイヤもそうですが、スタイルがユニークでした。それで、さらにユニークにしたいなぁ、と思いサイドカーが付けられるといいと思っていたのですが、結局実現しませんでした。

ホンダ XL250Rパリダカール(1981年~1999年)

 それまで乗っていたバンバン125は、残念ながら高速道路は走れませんでした。それで社会人になり、少し経済的にも余裕が出来たので、ここはぜひともライダーあこがれの地、北海道を制覇したいという思いから、オフロードのバイクを購入したのです。当時、パリ・ダカールラリーという大会があって、購入の前年にホンダが優勝したということで、記念モデルが造られました。ラリー仕様ということで、タンクは20リットルも入りますので、500キロくらいは無給油で走行できるのです。そんなところに魅せられて、京都市北区にあった「ビバ・オート・ナカムラ」というバイク屋さんで購入しました。あとバイク用のジャケットや、備品類は、職場の近くにあった「ぴいたぁぱん」というショップをよく利用しました。それで、1983年、念願の北海道ツーリングを敢行しました。サークルの後輩も一緒に行きました。彼は、VT250というロードバイクでした。

 ↓このスライドショーは、いよいよ手離すことになった時に最後の記念撮影となりました。

北海道ツーリング以後も、全国いろいろ行きました。近畿圏内は琵琶湖、紀伊半島、北陸は能登半島、西日本は四国・九州まで、北海道の稚内到達と合わせて、九州の指宿まで走りましたので、ほぼ全国へ行ったことになります。

ヤマハ ジョグ50(2000年~2010年)

 通勤はそれまでは自宅から駅まではマイカー、駅からはJR嵯峨野線、円町駅からは、市バスでした。その中でも一番の苦痛だったのが、市バスでした。通勤時間帯は同時に通学時間帯とも重なります。西大路通りを走るバスには、R大学もありますし、優秀なR★高校、そして背中のランドセルがバス内ではとても空間を圧迫する小学生(国立大附属)などが、次から次へ乗ってきます。それで、その区間は50ccのバイクを利用することにしました。利用して10年くらいになりました、快適です。しかし西大路通りでは、時たまネズミ捕りをしております。そうです原付の制限速度は30km/hなのです。2回ほどお国にお金を納めました。で125ccへとなります。 この10年間、走行距離は何キロとなったのか、今となっては分かりません。3回くらいはメーターか゜9999から0000になったことは覚えています。その間、さしたる故障もなく、日本のバイクがいかに耐久性に優れていたかを実感しました。

スズキ アドレス125(2011年~)

 2011年3月から乗り始めました。50㏄の制限速度は30㎞/hであり、普通に下り坂を走っていたら、すぐに速度オーバーになってしまいます。が、125㏄になると、四輪車と同じ扱いになるので、道路標識通りの速度内であれば、違反とはならないのです。これは毎日走っているものにとって非常に大きなことです。

 125ccだけあって、排気音もそれなりにしますが、うるさいこともなく、かつてスズキVanVanに乗っていたことを思い出し、そういえば、これもスズキなんだ、と感慨深く乗っています。シートの下には、ヘルメットの収納スペースはありますが、それだけだと、雨合羽や長靴(これ雨の日は必需品)を収納することが出来ません。それで格好は良くないですが、キャリーを後ろに付けています。最近、それでもスペースが欲しい、と感じ、フロントにもかごを設置しました。買い物仕様ですが、とても快適です。

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「汽笛は泣いて」

矢野絢子

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