10年ほど前、春秋社の出している広報誌『春秋11月号』(2002年)に、作曲家の近藤譲氏の評論が掲載されていました。クラシックとポピュラー音楽の関係に常々興味があったので、評論紹介という形でまとめました。この連載は、その後単行本として出版されているので、関心のあるかたは、そちらも併せて読んでください。

シューベルトとビートルズの間

Franz Schubert
Franz Schubert

<評論紹介>

 


 春秋社の出している広報誌『春秋11月号』に、作曲家の近藤譲氏のエッセイ(評論?)が掲載されていた。このエッセイは、「音楽とは何か」というテーマで毎回連載されているもので、11月号がその6回目、「シューベルトとビートルズの間」というタイトルであった。昨日たまたま職場の雑誌類を整理していて、表紙に掲載されたタイトルに目が止まり、4ページのエッセイを一機に読んだ。そしてせっかくの機会なので、ここにその概略を紹介したい。
 冒頭で近藤氏の職業(作曲家)に触れて、自分は「芸術家」と呼ばれる世界に身を置いているが、芸術音楽とそうでない音楽の間にどのような違いがあるのか、と提起し、次のように書いている。

 

シューベルトの歌は、誰でもが認める芸術歌曲である。しかし、ビートルズの歌は芸術音楽かと問えば、おそらく、意見が分かれる。クラシック音楽の堅い信奉者は、「あんなものは芸術とはいえない」と頭から否定するだろうし、一方、ビートルズ・ファンなら、「あの素晴らしい歌が芸術でないはずがない」と主張するかもしれない。

 

と、いきなり核心を突いたような話を持ってきて、例として、シューベルトの歌曲『音楽によせて』とビートルズの『イエスタデイ』を比較している。どちらも、単純な和声進行の伴奏に支えられている点、作曲技術も同程度、演奏者と聴き手に美的体験をもたらす、そういう点で二つの曲の間に基本的な違いはない、と述べる。しかし、ビートルズの歌は「芸術とはいえない」とする意見の根拠として、様式の違いを基準とする意見を紹介している。その様式とは、『音楽によせて』の方は、伴奏者と歌手が決められて、その伴奏楽器もピアノというのが決められているのに対して、『イエスタディ』は、弾き歌いは当然(ポールが常にやっている)だし、伴奏もビートルズの弾いた楽器でないといけないことはない(フルバンドでの演奏もOK)、という様式を言う。即ち芸術音楽様式の作品=芸術音楽、非芸術音楽様式の作品=非芸術音楽、ということになると。そして前者の芸術音楽様式とは、「クラシック音楽」を指し、『イエスタディ』は、「ポピュラー音楽」に属するから芸術とはいえない、ということだ。

 なんとも根拠の薄いというのかあいまいな定義である。そして「クラシック音楽」が芸術で「ポピュラー音楽」はそうではないとする根拠を追求していくと、「クラシック音楽は、昔から芸術音楽とされてきた。だからそれは芸術音楽なのだ」という答えにならない答えに行き着く。その考えを補完する思想として、現代アメリカの美学者ジョージ・ディッキーが、芸術を一種の文化的制度として捉えた論を紹介している。つまり「芸術世界は、文化的に構成されてきたもの、つまり、社会の構成員によって年月をかけて共同的に作り上げられたものである」ということとなり、ある作品が芸術作品であるか否かは、その作品がこの制度の下で制作されたものかどうかで決まり、作品自体の美的価値の高低は関係ないことだ、というのである。ずいぶんと荒っぽい考えだが、それが、学者さんの書いたものであるので、なんとなくそうなのか、と納得させられてしまう。
 逆に言えば、『イエスタディ』には美的価値があっても、一定の文化制度(クラシック音楽の歴史=様式)の中から生み出された曲ではないので、芸術ではない、ということになる。(さらにそれを突き詰めれば、ビートルズの様式がはじめに出現しておればビートルズの音楽は芸術になり、固定化した様式を持つシューベルトの音楽がその後に出ておればそれが非芸術という烙印を押されることとなる・・・・かな)
 最後に筆者は、自分の作品が芸術音楽であるかどうかということに、まったく関心がないと述べている。そして自分は単に音楽家であり、「曲を書くこと」に興味があるのだと。
この筆者のエッセイを要約すれば、音楽にはクラシックとポピュラー、芸術音楽、非芸術音楽という線引きをする考え方があるが、そういう問題は、哲学・思想の問題であって、音楽の持つ美的感性やら演奏の楽しさとは関係のないことである、ということだろう。音楽を聴いたり演奏したりする人は、それがクラシックであってもポピュラーであっても同じように接しているものだということだ。

 

 

 

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