M君の思い出

この写真は、1967年、私が小学6年の時に、来年から入ることになっている地元の中学校の体育祭に見学へ行き、友人と撮ったものです。今から40年以上前のものです。ここに映っている左側は、メガネをかける前の私(まだ近視がそんなに進んでいなかった時代)、そして右側は友人のM君、その後も中学・高校と同じでした。大学は私は京都市内の私大、彼は大阪の商学部のある私大で、それぞれ別の道を歩みましたが、お互い長男だったこともあり、地元に残り、通学通勤で、たまに駅で会って電車内で世間話をしながら、友人関係は続きました。しかし3年前に、彼は職場で倒れ、そのまま意識が戻ることなく、病院のベッドの上で管に繋がれる状態(約1年半)となり、昨年の4月16日に帰らぬ人となってしまいました。振り返ってみて、彼との関係は、特別に仲の良い間柄ではなかったようにも思うし、そうかといって疎遠になることもなかったと思います。どの程度が友達と呼べるのか、それはわかりせんが、気心の知れた関係、虚飾も見栄も敵対もなく、それはそれは安心できる、やはり「友達」でした。

今日は1日遅れましたが彼の命日に線香をあげに、ご自宅へ伺いました。いまだに「太田君」と呼んでくれる彼の奥さんと昔の話をして、ひと時を過ごしました。

 

 

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矢野絢子

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