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神足駅

駅近くの公民館の前に立っていました。駅が無くなった記念にこちらに譲りうけられたのでしょう。
駅近くの公民館の前に立っていました。駅が無くなった記念にこちらに譲りうけられたのでしょう。

 大学4年間のうち、ほぼ2年間ほどは長期休暇、日曜日などに行っていたアルバイトがありました。神足駅(現在は「長岡京駅」という名称になっています)の近くにあった俗に「洗い屋」という、新築ビルが検査を受ける前に掃除したりワックスかけたり、時にはペンキを塗ったりする会社でした。会社の名前は「KKビソー」といいました。ビソーは漢字の「美装」だと思います。そんな会社でしたので、仕事は日中もあれば、夜中から明け方にかけてのこともありました。また大仕事が終わった後に、従業員さんアルバイトなどで、社長の家で焼肉(ジンギスカン)をよくやりました。社長の家といっても、普通の長屋の一角にあるところでしたので、ごくごく普通の家でした。そして私は、比較的その社長さんや奥さん、従業員さんによくしてもらったものでした。ただ、就職後は縁遠くなり、結局、その会社へ行かなくなって、もう35年ほど経つことになります。
 本日、大阪歴史博物館に行った帰り(東海道線の京都方面行き電車の中)、何を思ったか、あの会社は、今もあるんだろうか、という気になり、「長岡京駅」で途中下車しました。学生時代には、毎日通った場所なのに、今となっては、なんとなくあの辺、というくらいの記憶しかありません。けど下車した限りは、必死でその場所と思えるようなところを、とりあえず歩いたのです。しかし、30年以上の歳月は、駅名どころか、住宅地もすっかり変化させていました。古い家もありましたが、アパートが建っていたり、空き地があったりしていました。そして、それにも増して、その会社の場所が皆目思い出せませんでした。歩いている年配の人に尋ねましたが、さぁ?わからんなぁ、という反応ばかりでした(お年寄りだからといってここに長いこと住んでおられるとは限りません)。最後に尋ねたお婆さんは、古くからこの辺りに住んでおられる様子でしたが、わからん、という返事と、このあたりは、ずいぶん変わったしなぁ、という話でした。結局、何の成果もなく、ふたたび駅に戻って、帰途についたわけです。
 しかし気になるなぁ、あの会社の社長夫婦には子供さんが居なかったことも思い出しました。また番頭さん的な方が近くに住んでおられて、あのままだと、その番頭さんが会社を引き継がれてるのではないのかなぁ???、と疑問が残るばかりです。また何か手がかりがあれば、チャレンジしたいと思いました。

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コメント: 2
  • #1

    しおさき (日曜日, 02 6月 2013 10:42)

    まっちゃん=松野さんもいたよね。平屋の市営住宅じゃなかったですか?はじめに太田さんにアポなしで連れてもらいカレーだか食べて、風呂まで入って緊張したことを覚えてます。軽トラであっちこっちの掃除、滋賀県の給油所の屋根に上ってペンキ塗り、長岡の非常階段のペンキ塗りは怖くて柱にしがみつきペンキまみれになりました。「奥さんによう働いたみたいやね」と、笑われたりしました。なつかしいなあ。いろんな話を高学歴の?マッチャんから聞いたり、いろんな学生と知り合いになったですね。

  • #2

    おおた (日曜日, 02 6月 2013 16:32)

    まっちゃん、懐かしい!あのかたはやけに映画に詳しかったことを覚えております。あと、沖縄から集団就職で関西にやってこられていた、きんちゃん=金城さん、もおられました。きんちゃんの下宿で沖縄の高校の卒業アルバムを見せてもらいました。・・・・こんな話題は、あの時にアルバイトしていた数人にしかわかりませんね。
    仕事は給油所が多かったですね。

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