1964東京オリンピックの記憶

2020年に東京オリンピック開催が決定し、新国立競技場のデザインを巡って何かと話題となっています。現在の競技場は、サッカーやラグビーの決勝戦(天皇杯)、国際的なスポーツ、あるいは大規模な野外コンサート等の場として使われています。その競技場が、7年後になったオリンピックのメイン会場としてリニューアルされることより、来年度には解体撤去されます。オリンピックの決定以降、かつて1964年開催時に使われたメモリアルな施設を見ておこうと、連日、見学ツアーは盛況の様子です。

 

先日、東京へ仕事で行った際、その外観だけでも見ておこうと、千駄ヶ谷駅を下車し、国立競技場へ行ってきました。付設のスポーツ博物館が開館しており、入場券を買うと、名札を渡され、限られたところのみではありますが、スタンドに入ることが出来ます。観客の居ないスタンドは、思った以上に広大な印象です。この場所で、50年前に各国の選手団が入場行進し、また男子マラソンでは、エチオピアのアベベ選手が金メダルを、2番手で走っていた円谷選手は、大観衆の前で英国の選手に追いつかれて銅メダルとなった、思い出深い場所です。その後も、いろいろな大会で使われ、次の東京オリンピックでは、斬新なデザインの競技場として生まれ変わり、各国の選手団を迎えます。

 

50年前、1964年の東京オリンピックの時、私は、まだ小学3年生でした。それでも国を挙げての一大イベントは、家にあった小さな白黒テレビや、新聞などのニュース写真で、大きく印象に残っております。前述の円谷選手や、女子バレーの金メダル、体操の遠藤選手、お家芸の柔道でへーシングに敗れた神永選手など、子供心に記憶があります。また女子体操のチェコスロバキアのチャフラフスカ選手は「体操の花」と呼ばれ人気を博しました。私も子供ながら、その妖艶な姿に、まだ未発達だった男心が刺激を受けたことは間違いありません(今の若年層の多い女子体操界と比較すると、かなりの「熟女」だったのかなぁと感じます)。ちなみにチャフラフスカ選手は、プラハの春に代表される歴史的な事件に翻弄されますが、東京オリンピックで受けた日本人の「おもてなし」に感銘を受け、現在も親日家としてマスコミなどに登場されています。現在72歳だそうです。

 
 

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矢野絢子

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