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熱中世代

 今月の中ごろに、地元亀岡にあるガレリアかめおかで、精神科医でもとフォーククルセダースのメンバーであった、きたやまおさむさんの講演会があったことは、直後のブログに書きました。その後、講演会が面白かった、という話を職場でしていたら、同僚で、きたやまおさむさんのファンの女性から、先日、BS放送できたやまさんがゲストに出た番組のビデオがあるので見ますか、と言われて、さっそくダビングしてもらいました。脚本家の鴻上尚史さんと、アナウンサーの進藤晶子さんが進行役をつとめる『熱中世代』という1時間番組で、きたやまさんは、2週にわたって出演されていました。

 内容は、先日の講演会で話されていたものもありましたが、それよりも興味深い話もありました。なにしろきたやまさん、民放テレビに出演するのが40年ぶりとか、そして進行役の鴻上さん進藤さんとの絡みもあって、話しの論点が逸れないところも良かったです(テレビですからある程度編集しているのでしょう)。そして、何といっても、先日の講演会では話されず、この番組で初めて話された、故・加藤和彦さんとの関係、自死についての精神科医としての悔やみ、友人としての「バカヤロー」との思い、などが話されました。アマチュアバンドとして、300枚の自主制作レコードを作った頃のコンサートの写真をお互い大切に持っていたという共通した思いが語られるところには、特に感銘を受けました(詳細は省略します、ここが一番の肝だったわけで、こんな大切な話を、私のブログごときで紹介できるほどの技量はありません、よって省略します)。

 加藤和彦さんの話は省略しますが、一般論として、きたやまさんが放送の中で、人の精神行動(心理的な内面性も含めて)を、司会進行の鴻上尚史さんの関係する演劇(の俳優)にたとえ、人は、舞台に立つときに演じる自分と、楽屋へ戻って素の自分に戻る自分が居る、と説明されました。舞台に立つときは、その演劇、その世界の役者を演じているわけですが、時として、楽屋に戻っても、その舞台のほうの自分を戻せなくなり、素の自分が見えなくなってしまう、というようなたとえでした。

 たとえが演劇でしたが、これにはいろいろな場面があると思います。一番分かりやすいのは、職場でエリートビジネスマンとして活躍する自分と家に帰ってくつろぐ素の自分、親としての自分と趣味だけが生きがいとなっているオタクの自分、Aサークルの会長としての自分とBサークルの一般会員としての自分・・・等々、人は皆、それぞれの場面で、それぞれの役割を演じ、また演じているだけでなく、人となりも含めた人格も使い分けている場合もあるかもしれません。

 きたやま氏は、人はその多重性のバランスの上に立っていて、一方の自分を「良い人・美しい人・健康な人」、もう一方は「悪い人・醜い人・病気の人」というように2面性を認識して、その悪い面の自分について思い悩むことが多いけれど、どちらも認めることが大切であると説明されました。

 

 

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