1981 LMCの思い出

 今朝、「サワコの朝」という番組の音声だけを聞いておりました(私、テレビのある隣の部屋で朝食中だったので音だけ)。ゲストは、もとチェッカーズの藤井フミヤさんのようでした。阿川佐和子さんの絶妙な質問に応えながらチェッカーズ時代の話で盛り上がっている様子でした(キャロルの「二人だけ」というバラードも弾き語りしてました・・・詳しく説明してなかったので知らない人はフミヤの曲だと思ったことでしょう・・・・)。そして、彼らがアマチュアからプロになるきっかけになったのは(高校生の時に)あるバンドコンテストに出場したことだった、という話をしておりました。

 

 私は、最初、あぁ、そのコンテストは「8・8ロックディ」だったかな、と思いました。チェッカーズを見た場所が三重県合歓の郷の野外ステージ、という記憶があったからです。けど、合歓の郷の「8・8」は、もう少し前だったようにも思うし、チェッカーズは九州のバンドだから変やな・・・、とネットで調べて・・・・ありました。

 

 そのコンテストは1981年に開催されたヤマハ・ライト・ミュージック・コンテスト(略してLMC)です。このコンテストは、それまで各地域で開催していたコンテスト(関西だったら「8・8」だし、関東だったらサザンが出た「イーストウェスト」などがありました)の全国大会という位置づけのものでした。この時は、すでに私、卒業して働いていたのですが、見にいったんですね(それがこの写真です、チェッカーズではありませんけど)。

 

 チェッカーズは、当時は高校生でしたので、ジュニア部門に出場、もちろん優勝、おまけに、シニア部門(いわゆる大人のバンド部門)でも特別賞をもらっていました。確かに、記憶の範囲ですが、高校生にしては、場馴れしているしマニアックな選曲(ドゥーワップ等々)だし、と感じた記憶があります。最終審査発表時には、彼らは居ませんでした。MCの方(もとワイルドワンズの鳥塚茂樹さん)が「なにしろ高校生なので明日の授業の関係で早めに帰ってしまいました」というような事を言っておりました。その数年後、彼らはプロとしてデビューすることになるのです。そして「涙のリクエスト」が大ヒット。ソロになって「ツルーラブ」が大ヒット、となるのです。

 

 1981年のLMCのゲストは、高中正義でした。そしてシニア部門の優勝は、神戸から出ていたアーリーバードというフュージョン系のバンドでした。ゲストからみても、あの当時は、ロックやブルースからフュージョン、ラテンといった傾向がトレンドだったのでしょう。ただし、私としては、その時に北陸ブロック(金沢)から出場していたブラッド・ラインという女性ボーカルのソウル系バンドがとっても印象に残っております(どなたか消息をご存じないでしょうか?)。(FaceBookより転載)

 

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コメント: 1
  • #1

    ブラッドライン (金曜日, 10 3月 2017 06:08)

    ブラッドライン、現在も金沢で活動しています

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