メリー・ホプキンの来日と1970万博

来日時のインタビュー(ファンクラブ雑誌より)
来日時のインタビュー(ファンクラブ雑誌より)

今から47年前のことになります。季節はちょうど今頃、3月から始まった日本万国博覧会、新聞・テレビでは連日多くの入場者があったことを報じていました。私は中学生でした。

 

万博は、大阪吹田千里丘陵で開催されておりましたが、今ならクルマで1時間もかけずに行くことが出来ますが、当時私はまだ中学生でしたので、クルマも運転出来ません、また交通機関などにも不慣れな田舎者、そこはずいぶん遠い場所と感じていました。が、万博が開催されているというので、町内会の日帰り旅行や中学校での社会見学等でもバスに乗って行くことができました。ただ、それぞれ団体旅行でしたので、いろいろ時間的な制約もあり、万博に行ってふんいきに触れた、といった程度の経験で、一人でそのイベントを自由に楽しむというものではありませんでした。

 

そんな中、ビートルズの申し子、メりー・ホプキンが来日するということを知りました。しかも万博でコンサートがあるいう話でした(万博ホール 1970.7.4.~7.)。洋楽にめざめていた頃です。ビートルズは、その時には解散していたか、解散のうわさあったころなのか判然としませんが、メンバーのポール・マッカートニーが特にプロデュースに力を入れていた、その彼女が、日本に来るんだ、こんなチャンスを逃すわけにはいかない、と思ったのでしょう。そのチケットをどのように入手したのか、当時学校外に中学生だけで行くのは禁止・・・・そんな状況の中で、同じクラスのH君と2人で、そのコンサートに行ったのです。しかもカセットテープレコーダーまでカバンに入れて。経緯や詳しい状況については、なにしろ半世紀近く前のことなので、おぼえていないのですが、コンサートの曲目に、ビートルズの「ウィズアリトルヘルプフロムマイフレンズ」を聴いたこと、彼女のヒット曲を数曲聴いたことなどを覚えています。二人の男性ギターデュオが前座で少し演奏して、そのまま彼女の伴奏をしていました。

 

学校に無断で中学生がバスと電車を乗り継ぎ外タレのコンサートに行った、いまならどうという事でもないのですが、当時の状況からみて、ずいぶんと冒険をしたものだと思います。

 

 

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矢野絢子

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