電話番号(呼)

街道沿いの2階、今は建設関係の宿舎に
街道沿いの2階、今は建設関係の宿舎に

大学を卒業した頃(1970年代後半)は、まだ携帯電話は世間一般には使われていませんでした。その前にあったポケットベルを持つようになるのも、まだ少し後です。

私はそのころ、大学近く、鷹ヶ峰街道を少し北に進んだ「北木ノ畑町バス停」の傍のアパートに一人住んでいました。四畳半共同トイレ共同炊事場・風呂なし、家賃12000円という学生アパートでした(写真)。もちろん携帯電話の無い時代でしたので、電話は、そのアパートの近くに住んでいる大家さん宅にかかってきて、大家さんがアパートまで私を呼びに来て、アパート出て大家さん宅まで急いで行って、そして電話口に出る、そんな状況でした。電話番号の末尾に「075~(呼)」という文字が添えられているのは、そのころはよくあるものでした。そもそも電話をする、という行為は、固定電話を持たないものからすれば、よほど緊急時に限られていたのです。

いまはメールやラインなど便利な通信手段が、携帯電話(端末)の利用の大半となっているのではないでしょうか。待ち合わせに少し遅れる場合、また複数の友人との連絡等々、瞬時に内容が伝わります。昔のように1対1の通話を越えた使い方であり、時代の進歩を感じます。

大家さんから電話があることを告げられ、アパートから住宅街の一角を通り数分のところにある家に「おじゃまします、すいません」といいつつ、電話をとる、受話器から「明日約束した場所に行けなくなりました、ごめんなさい」、「あ、わかりました、また、ね」と言い返し電話を切る、アパートから歩いてきた時間よりも、はるかに短い通話時間、しかも残念な内容、なんだかつまらないし、さみしかった、若かりし頃の電話の思い出です。

 

 

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矢野絢子

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