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シーボルト事件その後

先日、世の中では敬老の日(18日)、吹田のみんぱくで開催されている開館40周年記念特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を見てきました。江戸末期~明治維新頃の日本の姿を描いた絵画・日本画や、当時作られた文芸品・地図・植物標本等々、タイムカプセルを開けたかのような展示物の数々、大変興味深く見ることができました。

 

 

シーボルトの略年譜(めっちゃ端折った出来事)

 

・1823年に来日(27歳)

・長崎の出島にて西洋医学を講義

・江戸末期の日本の動植物・風俗調査

・   〃    美術品等の文化財蒐集

・タキと結婚

・長女イネ誕生

・シーボルト事件

・1828年、国外追放(この間わずかに5年)

・オランダで生活

・日本で収集したコレクションの保存公開

・ヨーロッパに日本(東洋)を紹介・博物館

・30年後に再来日(62歳)

・3年間滞在し帰国、70歳没

 

展示の導入部では、シーボルトが来日した際、長崎の出島で日本人の若者に医学の講義をしたことや身の回りの世話係タキ(当時長崎一の美人だった)との出会い、娘イネ(後、とても美しい女性に成長し日本初の女性産科医となる)の誕生、シーボルト事件、追放、惜別の話、思慕の気持ち等々が手紙や写真などで詳しく説明されていました。

 

会場は、その後、シーボルトが持ち帰った貴重な民芸品や仏像・絵画など、博物館的な分類のもとで、多くの資料・物品が展示されていました。それはそれで歴史民俗的に興味深いものばかりでした。

 

・・・・・そしてこの企画展の後半部分、再来日のコーナーでは、さぞや30年ぶりのタキやイネとの再会の様子が説明されているとおもいきや、再会したことには触れていたものの、その情景はあまり詳しく書かれていませんでした(再会してお互いの無事を確認した、程度)。私は、文物の展示にも興味がありましたが、導入部分であれだけ家族(シーボルト・タキ・イネ)のことをクローズアップしたのだから、モノの展示も大事だけれど、気分的には家族の絆・心情は「どないなったんやねん!」という気分でした。

 

シーボルトも一人の男ですから日本を追われてオランダへ帰り、結婚して3男2女(5人も!)をもうけています。しかも再来日の際には息子を帯同し調査にあたったことが説明されていました。

 

ここまでの消化不良な人間模様、あの人は今、のような疑問を解決するには、ここ民博では物足りません(情報無し・Wi-Fi無いのでipodタッチも使えない)。特別展の別館2階には工夫を凝らしたパネル展示やデジタルアーカイブ的な機器も用意してありましたが、そのへんはサラリと通過し、とりあえず図録を購入して早々と退館、自然文化園を横切り、改装中(内部公開まであと2年)の太陽の塔を拝んで、モノレール駅~南茨木~阪急大山崎~徒歩~JR山崎~京都~千代川と乗り継いで帰宅、とりあえず「ぐぐる」しかありません。

 

・・・・・・

 

ウィキペディアをはじめとして、いろいろな人や機関がシーボルトの功績や人となり、裏話などがインターネットでは調べられます。便利な世の中です。

 

その一部です(私的関心事)。

 

シーボルトが、そもそも日本に来た目的は、東インド会社からの命を受け、日本に開国を迫るための材料、その地形(自然)や文化レベルなどを調査することだったらしいのです(シーボルト=スパイ疑惑)。

 

また当時長崎一の美人タキは長崎出島近くにあった遊郭から派遣されてきた遊女、そこでみそめられて一緒になった(正式な婚姻したのかナ?疑惑)。

 

再来日の際には、またもや出島に遊女を招き入れ(しかもタキ・イネと再会したその直後に)事に及んだ(元来医者は好きものという疑惑)。

 

娘のイネは医者の道を目指して学問するも、その美貌のとりことなったシーボルトの弟子(医者)に暴行されて身ごもった(元来医者は好きものという疑惑Ⅱ)。その子はタカという女性で、たそうな美人であった。

 

・・・・等々、いろんなドロドロとした話題が出てくるわけですが、しかし、それらのアカンところに目をつむれば、一般論的に言えば、シーボルトの業績・貢献は、みんぱく40周年を記念するにふさわしいものであることは事実なわけです(アカンところもセットで企画されていたら、もっとリアリティのある展示となったことでしょうね、個人的見解です)。

 

 

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今回の吹田みんぱくツアー及びシーボルトくぐって分かった余計なこと。

 

①土日祝日にはモノレール公園駅からみんぱく行きの無料シャトルバスが出ています。みんぱくで下車する際に帰りの為に「自然文化園通行券」をくれます。これを提示すると自然文化園(通常250円)にタダで入れることになります(この券はあくまでも文化園を通過する目的で配られていますので今回はその主旨どおりに利用しました・・・)。

 

②シーボルトの娘イネの私生児(孫)である高子は、それは美人であったとされ、松本零士の「銀河鉄道999」のメーテルのモデルであったらしい。へぇ~!3つ!。

 

 

 

 

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