このダム建設、移住に関しては、当時、ダム成金とか、ダム長者のように村人が揶揄されたようです。実際、移転された土地には、立派な一戸建てが並んでおります(亀岡にもあります)。また補償金なども払われていたと思います。あれから30年、「村」は消え去り、また当時住んでいた人々も世代交代が進み、かつての「村」の様子を知る人も少なくなっているようです。今回の写真展にえがかれた子供たちもずいぶん歳をとっていることと思います。長年住んだ家屋や神社・寺、その他の景観も今見ることは出来ません。
少子・高齢化社会の結果として過疎化、耕作放棄地などが言われて久しい現代ですが、それでも、その「村」(土地や景観)は存在しているわけです。一方、ダム建設により、今まで住んでいた「村」そのものが無くなる、水没する、というのは当事者にとって、また社会として、どう解釈すればよいものでしょうか。土地や家は、代替地が与えられるのかもしれませんが、古くから行なわれてきた習慣、祭りごと、組織の運営、それらを包括した地域文化が消失したことになります。いずれ数十年後、100年も経たないうちに、その村は忘れ去られることになるのかもしれません。
この在りし日の写真は、それらの記憶の消失に抗う1葉となるのでしょうか。