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『深夜放送ファン』という雑誌

 

今日は雪も降るし、家にこもって未整理の古い雑誌などを片づけていましたら、音楽雑誌のあいだから『深夜放送ファン』という雑誌が出てきました(この写真)。あの『現代用語の基礎知識』で有名な自由国民社が発行していて1970年10月とあります。今から47年前、ということです。値段は200円でした。この号の特集は「異性と受験と服装」ということで、当時の若者の関心事を記事にしています。ページをめくっていくと、深夜放送局の宣伝、DJのグラビアに続いて、特集になっているテーマについて、おそらく各局に寄せられた10代のリスナーからの「お悩み」に、ベテランDJが答え励ます、という内容。いやいやなかなか・・・ストレートな質問に対して、丁寧な回答もあれば過激なアドバイスもあって、時代を感じます。今の若者ならば、悩みがあってもネット、SNSなどで解決してしまうのかもしれませんが、約50年前の日本には、まだ情報通信の文化が未発達でしたので、深夜0時を過ぎて、試験勉強をしながら聴くラジオ番組に投書したり(リクエストカードって呼んでました)、寝静まった家の電話から放送局に電話して、お悩みを相談していたのですね(北山修さんの相談は有名でした、後に精神科医になられ今は引退)。そうそう、そうでした、懐かしい深夜放送ラジオを聴いていた頃を思い出しました。

 

 

追記

50年前の中高生。勉強や部活といったルーティンは今の世代とあまり変化はないでしょう。しかし、何が変わったのかといえば、今の時代は、すさまじいほどの情報量とモノがある社会だということではないでしょうか。いろんな情報、コミュニケーションツール、ネットワーク・・・、その入手方法は、新聞・テレビ・ラジオくらいしか無かった頃とは違い、携帯電話・パソコン・スマホ・タブレット・街中にあふれるさまざまな媒体からは、個人的にアクセスして得るものから、知らず知らずに身の回りから、社会からやってくる途方もないメッセージ等があります。当然、かつての花形であったテレビやラジオなどの存在感は少なくなるばかりです。

 

1970年頃の若者も、いろいろな人生の節目(進学・受験・恋愛)に悩んでいたことでしょう。その事自体は今の若者も同じでしょう、けれども前述した情報機器の進展が、さまざまな局面で良くも悪くも影響を与えます。ある知識人は、この流れを人類の獲得した恩恵であると解釈していますが、一方で弊害と捉える考え方もあるのは、現実に起こっている事件や社会病理などと、情報機器の便利さ機能性などを比較した結果で、どちらかの影響力の大きさによって分かれるのかもしれません(この対比を単に科学的に客観的に分析できるのかはひとまず横に置かねばなりません)。

 

中学生だった私。いろいろなことに悩んだり喜んだり希望を抱いたり失望したり諦めたり・・・・そんな時に少しでも心を豊かにしてくれたのは、書物であったり、映画であったり、テレビドラマ、アニメ、そして深夜放送ラジオだったのです。ラジオ番組の有名なディスクジョッキーが、いろいろな話を提供してくれ、聴取者からのリクエストハガキを読んだり、お悩み相談に応えたり、それらを聞くことで自身も投稿し相談した人の疑似体験をしていました。深夜0時を過ぎ、明け方に近い頃まで、一応机の前に参考書も置いてはいるものの、流れるラジオの声に耳を傾けていました。たった一人、悶々としながら、ひたすらラジオを聞く、・・・なんて切ない寂しい光景なんでしょうか。

 

豊かで便利になった今の時代にふと思いました。

 

 

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