カテゴリ:一般


カルチャー(文化) · 21日 11月 2015
 今年の10月30日から11月1日にかけて、佛教大学で、第49回「鷹陵祭(おうりょうさい):学園祭」が開催されました。テーマは「ぎゅっと、佛大」で、そのテーマの意味は「人が多く集まる鷹陵祭で、団体の模擬店や様々な企画等に参加することによって、普段接することの少ない人との距離が「ぎゅっと」近づくきっかけにします!!」と実行委員会のHPに書かれています。学生同士の触れ合いや、仲間意識を高める、といった意図があるのでしょう、今の大学生らしいテーマかと思います。  さて、この写真は、三十数年前の佛教大学の北グランド(現在の5号館・6号館・鹿渓館が建っている場所は昔グランドでした:北グランドと呼んでいました)の中央に設置された野外ステージ、そこで演奏している学生の音楽団体の様子です(当時、私のよくよく知っている学生達でしたので、私がカメラで撮影したのです)。  バックステージの図柄は、明治時代に活躍した印象派の画家、青木繁の「海の幸」をモチーフにしたものだと思われます。そして「16th 嵐の中での自己変革」というテーマが描かれています(写真では「嵐」の文字は隠れていますが当時在職していた私の記憶に、はっきりと残っています)。今年のテーマのように「友達とぎゅっと」というちょっと軽いけど温かいテーマと違い「自己変革」ですから、個々の学生に向かって厳しく主張しているのでしょう、しかも「嵐の中」ですよ。青木繁のどろどろとした作風のパネル画の上で「君たち、こんな大変な世の中でこそ、自己変革しなければいけないぞ!」とでも言っているようです。  第16回の鷹陵祭ですから、1982年(昭和57年)のことになります(49回から遡って計算してみました)。この年のヒット曲ベスト5(と売上枚数)は、以下のようなものでした。 1位「待つわ」あみん・101.8万枚 2位「セーラー服と機関銃」薬師丸ひろ子・83.5万枚 3位「聖母たちのララバイ」岩崎宏美・78.5万枚 4位「心の色」中村雅俊・69.7万枚 5位「北酒場」細川たかし・64.8万枚 (ダウンロード回数をヒット曲の指標としている現在と、えらい違いです、まだアナログレコードだったと思います)  またその年の世相として、東北新幹線・上越新幹線開業、500円硬貨発行、ソニーが世界初のCDプレーヤー発売、テレホンカード使用開始、「森田一義アワー 笑っていいとも!」が放送開始・・・といった明るい話題もありましたが、社会情勢では、日航機、羽田沖墜落、ホテル・ニュージャパン火災、三越事件で前社長ら逮捕、ロッキード事件全日空ルートで同社幹部に執行猶予つき有罪判決・・・・と、暗い話題もありました(これらはインターネットで「1982年」を検索すれば、たくさんの記事がヒットして、簡単にその年の世相や事件等々の情報を得ることが出来ます、こんなことも三十数年前には考えられませんでした)。  そして、このテーマを設定した当時の学園祭実行委員会の学生からすれば、この混沌とした社会情勢や世相を「嵐」と呼ばずしてどうするか、あみんの「待つわ」に浮かれている世の中も、見方によっては「嵐」だと言える、そんな中で、自らを「変革」してこそ、未来が開けるのだ、という気概のようなものが表れています。  そんな意気揚々とした実行委員会の取り組みのさ中、教育学科の清水毅四郎先生(滋賀大学名誉教授で、現在、びわこ成蹊スポーツ大学特別招聘教授をされています)が、講義の中で、この学園祭を皮肉って、このテーマ、本当は「小春日和の中での自己満足」とするべきだな、と言われた、という話を私は聞いたのです(伝聞情報なので若干ニュアンスが違うかもしれません)。  このコメント、なんと言い得て妙な言い換え(シャレ、ユーモア)だったでしょう。そして、この話が、後日、実行委員会のメンバーにも伝わり、一同、苦笑いだった、ということもあって、私は強烈に、この「小春日和の中の~」の「裏テーマ」が印象に残っているのです。今年の「ぎゅっと」も、30年前の「自己変革」も、学生の心根は、そんなに大きく変わる(変わった)ものでもないのでは、と、ふっと思った次第です。  ちなみに「小春日和」というのは、11月初旬、ぼちぼち肌寒い季節を迎えようとしている中、時折、春のような温かい気候の日が出現する時のことを言うようで、冬の季語となっています。 (2015.11.18.FB投稿記事より転載)
 · 01日 8月 2015
 近頃、2020年の東京オリンピックのメイン会場となる、新国立競技場についてのニュースが喧しいですね。当初、設計のコンペで著名な海外の建築家の提案が決まり、旧競技場は取り壊し、という形で進んでいましたが、建築費の高騰がきっかけとなり、見直し、やり直し、新たなデザイン、という話です(なかには、新しいデザインは生ガキのようで嫌いだった、という政治家の発言なども話題になりました)。  私は、2年ほど前、ちょうど旧競技場が取り壊される直前、最後の競技場を見ておこうと、この地に行ったのです(2013.11.25.)。ここは、かつて1964年の東京オリンピックが開かれた場所でした。私は当時、まだ小学生、オリンピックなどにそんなに関心があったわけではありません(柔道で金メダルが取れなかったことや、マラソンで円谷選手がもうすこしで銀メダルだったことなどは印象に残っています、あ、体操女子のチャフラフスカ選手の美しい姿も・・・)。その後、中学生になり、修学旅行の訪問先のひとつに、この競技場があり、初めて競技場のスタンドに立ちました。その日から、またまた40数年経ち(サッカーとか熱心なところもなく、2年前までは「国立」には一度も行く機会がなかったのです)、そして2度目の訪問をしたことになります。その間、改修などもあったのでょう、約50年、半世紀の歴史のある競技場ではありましたが、フィールドはもちろん、スタンドやその他の施設も、何十年も経っているような感じはしませんでした。それで、新しいデザインの競技場が決まったとはいうものの、なんだかもったいないなぁ、このまま使ったらいいのに、という気持ちになったことを思い出します。今回の建設見直しの中の議論で、以前の競技場を復活させては、という案もあるようですが、それならば、壊さないで、そのまま使うことにしておいたら良かったのに、と思います(収容数や広さの新たな制約などもあるのかもしれませんが、世の中、進歩しています、どんな工夫でも出来たのではないのかなぁ?)。 暑い夏が続きます。
カルチャー(文化) · 12日 7月 2015
いよいよ明日で、正真正銘、還暦となります。マクドナルドのキャンペーンで、昔のグラスが100円出したらもらえるというのがあって、本日、篠山にふらりと行って、ランチはマクドにしました。そして、1955年のグラスをゲットしたというわけです。60年前の明日のことになりますが、私は、この亀岡(旭町美濃田)にて生まれた、というわけです。満60歳になったからといって、何が変わる、というものではありません。『論語』の一節に「60にして耳したがう」というのがありますが、はたして、人のことばに素直に耳をかたむけられる、ようになれたでしょうか? まぁ、私は若いころから、あまり人には逆らわないで生きてきましたので、(性格的には)ほぼ孔子の域に達しているかと思います。が、残念なことに、人に逆らうことが苦手なところは、きっと損してきたこともあったかもしれません。
 · 02日 6月 2015
駅のホームの端っこから、続く線路がポイントで分岐しているところに、なぜか強く心惹かれます。大きな駅(東京駅や大阪駅など)になると、その分岐は、数十本の線路へと続くわけです。また小さな駅であっても、上りと下りの線路が交叉し、単線の場合は1本の線に集合していきます。電車の場合は、運行表によって、そのコース、ポイントのタイミングが決められます。が、人生に置き換えれば、そのポイントは、自ら決めた路線であることは、きっと、とっても少なくて、いろんな不可抗力であったり、思い違いであったり、仕方なしの選択であったり、決められていくわけです。そんな人生の岐路を、この駅に続く、駅から始まる線路に重ね合わせてしまいます。
民俗学 · 29日 11月 2014
昨年度まで顧問をしていた大学のサークルの卒業生同士の結婚式が、先週の日曜日、大阪であり出席してきました。太閤園という老舗の結婚式場でした。そして披露宴は、その施設内の淀川邸という大正時代に建てられた立派な和風建築物でした(建物好きの私はとても感激しました)。近頃はホテルとか結婚式に特化した式場ですることも多いなか、昭和の時代にタイムスリップしたかのような感覚がありました。そんな古風な式場ではありましたが、ひな壇には新郎新婦の二名が並ぶのみでした。近頃は、仲人(なこうど)なんていう存在は、ほとんどまれになりましたね。昭和の時代であれば、結婚に至る過程は恋愛からであっても、頼まれ仲人という形式的な存在もあったものですが、今ではあまり聞きません。わざわざ「仲人」という人をたてなくても、その同義として「同期」「同じ職場」「同じサークル」といった関係性があれば、形式的に「仲をとりもった人」は不要なのかもしれません。さすれば、昨日の私(サークルの顧問)は、彼らを結びつけた仲人と同じことになるんでしょうか。
民俗学 · 14日 8月 2014
今朝の朝日新聞朝刊の投書コラム、投稿者である年配の方が、たまたま家の中を片付けていたところ、昔に発行された2千円札が出てきた、お宝のコインなどを蒐集している孫にやろうか、もう少し後の次の正月にしようか、という内容でした。その中で、お盆の頃に子供たちに渡す金品を、正月の「お年玉」になぞらえて「お盆玉」と、近頃では言われているような箇所がありました。この言い方は、世の中にそこそこ浸透してきている、というニュアンスもあるような書きぶりでした(ネットでクグルと確かにいっぱい出てきますね)。本題の2千円札の話よりも、私は、この「お盆玉」に、少し違和感がありました。この言葉に対応するなら「お年玉」は「お正月玉」になるのではと。変ですよね。 そもそも「お年玉」の起こりは、民俗学では、歳徳神(もともとは先祖の御霊)が毎年来訪し、その家に新年の始まりを伝える、その「玉=魂」といわれています。つまり、歳徳神は、農耕神であり、秋に収穫した米に感謝して、それを祝う、という背景があり、子供たちに与えられる年玉は、通常、丸もち(収穫した新穀米)でありました。お年玉が金銭になったのは、社会の近代化や経済活動の関係だとは思いますが、お年玉をもらって、一つ歳をとるということは、次節の米の収穫を予祝する行いだと言えるでしょう。 ところでお盆に、お精霊さんを迎え、送り出す、という火をともなう一連の行事は、お正月の行事(門松→とんど焼き)と共通点があります。正月の神迎え、神送りと、お盆のお精霊迎え、お精霊送りは、もとは同じであったのではないか、と言われております。そもそも正月も盆も、ご先祖さんを祭る行事であったということになります。それからすれば、この新聞に投稿した年配の方が、孫に渡そうとしている金品は「お盆玉」などというややこしい表現をしなくても、正月と同じ「お年玉(=精霊魂)」と呼んでも差し支えないと思うのです。FBより。
カルチャー(文化) · 13日 7月 2014
今日は私の59回目の誕生日でした。来年、還暦です。...
京都市 · 12日 7月 2014
本日は職場の営業活動の日でした。来年の入園予定(となるであろう)未就園児が親子で遊びにくるのです。本格的な(というのか正式に)入園に向けた活動が出来るようになるのは9月1日以降なのですが、どちらの幼稚園でも子育て支援事業と称して、このようなイベントを開催し、我が園の理解を深めてもらうわけです。通常の日とは違い、一見さんで、継続性のある子どもではないので、先生たちも少し肩の力は抜き気味で、少しほっとできる一日です。このヨーヨー釣りの店もサービスのひとつです。 それにしても、本日は土曜日で、就業規則では休日になります。したがって本日は勤務管理ソフトで休日を勤務日に変更して、昼から帰るときは、有給休暇(半休)を取ります(なんか変ですが・・・)。そして月末に人事課から「太田さん、休暇日が取れていませんよ」という電話があり、無理やり出勤している日を休暇日に変更して一か月分の処理となるわけです。機械に管理されている私です。
カルチャー(文化) · 05日 7月 2014
安全衛生推進者という資格?みたいなものがあって、4月から異動により着任した職場では取得しなければならない、らしいです。先週、西大路五条下る京都中小企業会館というところで2日間、受講してきました。「安全衛生」という言葉から、食の安全とか衛生、というようなこと(例えば栄養素とかビタミンとか給食)について講習があるのかな、くらいに想像していたのですが、内容は安全衛生法という法律があって、それに基づいて、各事業所は、従業員の職場の適正な管理、快適な環境を推進しなければならない、ということでした。具体的には、作業中の事故回避の対処方法や、有害物質などの処理とか・・・・イメージとしては、製造工場なんかの安全管理を指導する人、ということでした。現在の私の業務内容からすると、従業員(先生)の安全、というより(それはそれで大切ですが)、顧客(園児)の安全衛生、という視点が必要だな、と思いました。そして安全という言葉は、人として生活し、生きている限り、どんな立場であっても大切で、気を付けなければならないものだな、普遍的なものだな、と思いました。 この写真は、西大路五条、その講習会場の近くにある餃子の王将の「茄子と鳥の味噌炒め」の画像で、講習会が終了して食べました(講習会の内容とは何の関係もありません、ま、食の安全ということで)。 そういえば昔、安全バンドというのがあったな。ユーチューブにそのバンドのカバー(「13階の女」)ありました、これです。
カルチャー(文化) · 25日 6月 2014
サッカー負けてしまいましたね。毎日、サムライブルーのユニフォームを着て仕事場で過ごしていた身として、ホントに残念です。私はスポーツの中では、サッカーが特別好き、というわけでもありません。フットボールなら、体と体のぶつかりあり、人を振り切ってトライする躍動感ありのラグビーフットボールのほうが断然面白いと思うし、ピッチャーとバッターの駆け引きが目の当たりにできる野球なんかは、よりテレビ観戦向き(ドラマ性あり)だと感じます。一方、サッカーのほうといえば、かなり(ルールが)シンプルなスポーツです。要はボールを相手方のかごの中に入れるだけ、入れた数が多いほうが勝ち、オフサイドという反則ルールがなかったら、ホント、幼稚園児でも理解できるスポーツです。その単純さが良い、というのでしょうが、私はまったく同感、とまではいきません。 しかし、4年に1度のワールドカップサッカーは、同じく4年に1度、しかも何十種類ものスポーツ(サッカーも含まれます)の各国代表が競うオリンピックよりも、世界中で、テレビ観戦している人口が多いと言われているのです。にわかには信じられませんが、そう言われているようです(ウィキペディア参照)。日本代表は3戦で終わってしまいましたが、しかし、ここに来るまでには、アジア代表を勝ち取る戦いがありましたし、その他の国際試合もあり、その都度、大いに日本を盛り上げてくれたことは確かです。4年間お疲れ様でした。ザッケローニさんもありがとう、と言いたいです。 この写真は、職場でユニフォームを着用している私を見て、用務の女性からいただきました。ワールドカップ参加記念です。

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