<その他・データ>
資料やらデータやら、いろいろ。
明治18年、日本鉄道の宇都宮駅開業時に旅館の白木屋が、にぎりめし2個とたくあんを竹皮で包んだものを5銭で販売したのが最初と言われています(諸説あって大阪駅、神戸駅発祥などがあるそうです)。
・・・・・・・→駅弁のページ
ここに収められている駅弁ラベルの画像は、天理市参考館で特別展があった際のカタログからの画像です。著作権的には問題ない(50年以上・平面の複写)と判断し掲載します。
当時のかわら版・宍人村(南丹市)九兵衛日記
文政13年(1830)、今の京都市北部から亀岡市にかけた地域で、大規模な地震がありました。これを「京都大地震」と呼んでいます。北野天満宮の石柱がことごとく倒れたとか、愛宕山の神社や寺の建物が倒壊したという記事が伝えられています。そして現在の亀岡市東部(亀山)にも甚大な被害をもたらしていることが分かります。
2011.5.29.丹波史談会会員 小林氏提供
↓ 当時のかわら版
↓ かわら版の要約
↓ 宍人村(南丹市)九兵衛日記
↓ 九兵衛日記要約
西陣織会館で展示されている織機。
私が生まれた年の新聞1面記事(昭和30年)
鳩山内閣、とあるのは、現在の国会議員の鳩山兄弟の父親だと思われます。たぶん。
昭和30年7月13日毎日新聞。
健康優良児!
私は生まれたとき(正確にはその翌年、昭和31年)京都府の「健康優良児」に選ばれたのです。当時の京都府の知事は蜷川虎三という革新系の方でした。その時の賞状と記念写真がこれです。
誰でもが受賞したわけではないので、誕生してからの成長スピードが、やや人より勝っていたのかもしれません。小さい頃の記憶として「あんたは生まれた時、健康優良児やったんやで」という言葉を、両親や親せきの人から言われ続けました。法事で親戚が集まる際にはいまだに言う人がおります。きっと空前(当たり前)絶後の名誉です。
私が中学2年生の時(1969)、アメリカの月探索ロケット、アポロ11号が、人類としてはじめて月面に着陸して、それがテレビで生中継されました(当時のテレビで同時通訳されていたのは西山センという男性と鳥飼久美子さんという女性でした、鳥飼さんは現在どこだったかの大学教授をされています)。「私の一歩は小さいが人類にとって大きな一歩だ(たしかこんな内容?)」を第一声で地球へ送信したアームストロング船長の言葉は名言でしたね。この資料は、その時中学生だった私が、夏休みの宿題として、取りおいていた新聞記事をスクラップしたものです(カラー部分は学研とかの雑誌を切り貼りしたものでしょう、たぶん)。今見ると、とても幼稚な発想ですが、ま、当時の幼い私が、科学技術へのあこがれの気分から作成したスクラップ作成です、その努力は認めてやってください。台紙にしたのはデパートなどの包装紙の裏紙なのが時代を感じます。
亀岡市の広報誌に紹介されました。
平成17年(2005年)5月29日発行『キラリ☆亀岡』の「亀岡〝ひとと自然〞」というコラムに、私が紹介されました。