日々の出来事(日記)や思いつくままの事などを書いています。
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2024年
5月
06日
月
ゴールデンウィークも本日で終わり、明日からは、また農作業にいそしむ5月です。
このGW、今年も行ってきました、春一番コンサート。3日間の開催期間中の2日目と3日目を堪能しました。
このコンサートには、関西を中心に活躍しているミュージシャン(14組ほど)が、約20~30分の尺で朝の11時から夕刻7時ごろまで次々と演奏していきます。場所は大阪服部緑地公園野外ステージ。「春一番」は、1970年代(私の学生時代)に大阪天王寺野外音楽堂にて開催されていた伝説のコンサートです。いったん15年ほどの休止期間をおいて、ここ服部緑地に場所を移して毎年開催されています。
この伝説のコンサートを70年代からけん引してきたのは福岡風太・阿部登のふたりです(阿部登は2010年に他界)。現在は、その風太の息子である福岡嵐が主催者としてコンサートを取り仕切っています。で、その父・風太は、年齢的には70歳台の後半というあたりですが、数年前より体調思わしくなくなり、昨年にも杖をついて舞台に立つのがやっとという状態でした。そして今年、出演ミュージシャンは口々に「風太アリガトウ!」とМCで言ってますが一向に舞台には出て来ませんでした。一緒に行った友人とも、きっと相当悪い状態なんだろうなぁ、と話していたところ、3日目の最終日、ハンバートハンバートの出演時、息子の嵐が押すストレッチャーに乗って舞台に現れました(かなりの重篤な状態であることは一目でわかりました)。プログラムの予定にはなかった登場だったようで、おそらく、春一番(=風太)が育てたハンバートハンバートは、入院中?を無理してでも駆けつけたかったバンドだったのだと思います。歌い終わった際にマイクを向けられた風太は「ハンバート・ハンバート・・・!」と声を絞り出し、彼らを讃えた姿は感動的でした。
20年前、この春一番に、ハンバートハンバートが出演したのは、朝の11時に開場となり、観客がゾロゾロと客席に向かう(誰も真剣に舞台を見ていない)時間帯に、いわばBGMのような形、前座として、舞台の先に作られたミニステージで歌っていたグループでした。それが今では、3日間のソロライブも即日完売、日比谷野音でソロライブ、そのDVDも出す、という売れっ子になりました。昨年でしたか、NHKの「あさイチ」にも出ました。ビッグになったけど、きっと来年も再来年も出演してくれるんだと思います。それが春一番コンサートという存在なのです。
2024年
4月
28日
日
いよいよ田植え(来月中旬)の準備、まずは田んぼに入れる水の手配(ホースの設置)、あと田んぼの土中深く、縦に暗渠(あんきょ)があり、その排水口に蓋を付けて塞ぎます。ぼちぼち水を入れ、そのあとトラクターにて代掻き第一弾、第二弾、そんな作業は、親戚とのバーベキュー行事、毎年恒例の春一番コンサート、町内の愛宕講(まぁ宴会ですね)、毎年の伊勢大神楽、等々のイベントの合間に行います(農作業の合間に遊ぶのではなく、遊びの合間に農作業です→それが大事)。
落ち着いたらコペンかドラッグスターで遠くへ行きたいなぁ!
2024年
4月
23日
火
先週末から3泊4日で群馬・埼玉へ。米30kgの配達と、お土産、買い物・・・のことを考え、片道560kmを自動車にて往復(当初コペン〈軽自動車〉も考えたのですが年齢・疲労度を考慮して身内の普通車を借用)。
群馬サファリパーク(家族サービス)、埼玉げんき農場(いちご狩り→これも家族サービス)、南陽醸造(飲み鉄本線で六角精児が訪問→自分自身の希望)、ホルモン新井屋(吉田類が訪れた店→これもマイセレクト)、群馬富岡製糸場(ちょっとばかり家族サービス)などを3日間で消化して、昨晩、へとへとで無事帰宅。しんどかった・・・(運転)けど、ファミリーとの交流は楽しく、至福のひとときでした(人物の写真は省略いたします)。
2024年
4月
13日
土
大型バイクに乗り始めて、初の複数人でのツーリング、しかもⅠ泊2日やて!(→にわかライダーです)。
行先(目的)は福井県の三方五湖と民宿にてのごちそう、ということでした。2日目は決めてなくて晩御飯(宴会)で酒を飲みながらコースをあれやこれや、結果、滋賀県の長浜経由して「小谷城」、そのあと琵琶湖畔を走って帰ることに。
三方五湖のレインボーライン、景色も良く、なかなかのツーリングだったのですが、私としては、京都市内から大原経由、367号線(俗にいう「鯖街道」)のワインディングロードが気持ち良かったですね。
あと大河ドラマによく登場する「小谷城」、山城としては、かなりの規模だと実感、とりあえず本丸跡まで登山(←大げさ)。眺めは良かったです。