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京都市学校歴史博物館

 一昨日はフルタ君の京都帰還後の初ライブに行ってきて、そのまま市内にて宿泊、翌日は、一度行こうと思っていた京都市学校歴史博物館に行ってきました。
 明治維新・東京遷都によって、京都の町は荒廃したといいます。そんな状況に危機感を覚えた知事や政治家たちは、まず「教育」に力を入れることが必要と考え、京都市内を66の学区制として、それぞれに小学校を配置したといいます(これを「番組小学校」と呼びました→明治2年に始まったこの制度は日本初の学区制)。資金は行政からだけでは足らないので、各戸から寄付を集めました。竃(かまど・家族が生活を営んでいる象徴、家という意味)のあるところから一律に集金したことより「竃金」と言うそうです。そして教育の普及・効果により明治期には多くの芸術家が輩出し、著名な画家・作陶家が次々と作品を母校に寄贈したそうです。もし京都市内の小学校の寄贈品を一同に集めた場合、さながら近代美術館の収蔵数くらいにはなることでしょう(学校歴史博物館にはその美術品のレプリカ・複写物などが展示されています)。

 また明治初年以降も、京都市民の寄付などもあり、京都市内の学校は、個性的でモダンな建物が建てられました。近年、学校の統廃合や耐震工事などにより、それらのユニークな校舎は取り壊されていますが、廃校になった一部の小学校は、その外観を残したまま、芸術家の創作・発表のスペースになったり、地域の伝統文化継承の拠点として新たな役割を担っているようです(学校歴史博物館、こどもみらい館、京都芸術センター、京都国際マンガミュージアムなど)。  2013.7.7.Facebook

 

 

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