2017年

9月

22日

シーボルト事件その後

先日、世の中では敬老の日(18日)、吹田のみんぱくで開催されている開館40周年記念特別展「よみがえれ!シーボルトの日本博物館」を見てきました。江戸末期~明治維新頃の日本の姿を描いた絵画・日本画や、当時作られた文芸品・地図・植物標本等々、タイムカプセルを開けたかのような展示物の数々、大変興味深く見ることができました。

 

 

シーボルトの略年譜(めっちゃ端折った出来事)

 

・1823年に来日(27歳)

・長崎の出島にて西洋医学を講義

・江戸末期の日本の動植物・風俗調査

・   〃    美術品等の文化財蒐集

・タキと結婚

・長女イネ誕生

・シーボルト事件

・1828年、国外追放(この間わずかに5年)

・オランダで生活

・日本で収集したコレクションの保存公開

・ヨーロッパに日本(東洋)を紹介・博物館

・30年後に再来日(62歳)

・3年間滞在し帰国、70歳没

 

展示の導入部では、シーボルトが来日した際、長崎の出島で日本人の若者に医学の講義をしたことや身の回りの世話係タキ(当時長崎一の美人だった)との出会い、娘イネ(後、とても美しい女性に成長し日本初の女性産科医となる)の誕生、シーボルト事件、追放、惜別の話、思慕の気持ち等々が手紙や写真などで詳しく説明されていました。

 

会場は、その後、シーボルトが持ち帰った貴重な民芸品や仏像・絵画など、博物館的な分類のもとで、多くの資料・物品が展示されていました。それはそれで歴史民俗的に興味深いものばかりでした。

 

・・・・・そしてこの企画展の後半部分、再来日のコーナーでは、さぞや30年ぶりのタキやイネとの再会の様子が説明されているとおもいきや、再会したことには触れていたものの、その情景はあまり詳しく書かれていませんでした(再会してお互いの無事を確認した、程度)。私は、文物の展示にも興味がありましたが、導入部分であれだけ家族(シーボルト・タキ・イネ)のことをクローズアップしたのだから、モノの展示も大事だけれど、気分的には家族の絆・心情は「どないなったんやねん!」という気分でした。

 

シーボルトも一人の男ですから日本を追われてオランダへ帰り、結婚して3男2女(5人も!)をもうけています。しかも再来日の際には息子を帯同し調査にあたったことが説明されていました。

 

ここまでの消化不良な人間模様、あの人は今、のような疑問を解決するには、ここ民博では物足りません(情報無し・Wi-Fi無いのでipodタッチも使えない)。特別展の別館2階には工夫を凝らしたパネル展示やデジタルアーカイブ的な機器も用意してありましたが、そのへんはサラリと通過し、とりあえず図録を購入して早々と退館、自然文化園を横切り、改装中(内部公開まであと2年)の太陽の塔を拝んで、モノレール駅~南茨木~阪急大山崎~徒歩~JR山崎~京都~千代川と乗り継いで帰宅、とりあえず「ぐぐる」しかありません。

 

・・・・・・

 

ウィキペディアをはじめとして、いろいろな人や機関がシーボルトの功績や人となり、裏話などがインターネットでは調べられます。便利な世の中です。

 

その一部です(私的関心事)。

 

シーボルトが、そもそも日本に来た目的は、東インド会社からの命を受け、日本に開国を迫るための材料、その地形(自然)や文化レベルなどを調査することだったらしいのです(シーボルト=スパイ疑惑)。

 

また当時長崎一の美人タキは長崎出島近くにあった遊郭から派遣されてきた遊女、そこでみそめられて一緒になった(正式な婚姻したのかナ?疑惑)。

 

再来日の際には、またもや出島に遊女を招き入れ(しかもタキ・イネと再会したその直後に)事に及んだ(元来医者は好きものという疑惑)。

 

娘のイネは医者の道を目指して学問するも、その美貌のとりことなったシーボルトの弟子(医者)に暴行されて身ごもった(元来医者は好きものという疑惑Ⅱ)。その子はタカという女性で、たそうな美人であった。

 

・・・・等々、いろんなドロドロとした話題が出てくるわけですが、しかし、それらのアカンところに目をつむれば、一般論的に言えば、シーボルトの業績・貢献は、みんぱく40周年を記念するにふさわしいものであることは事実なわけです(アカンところもセットで企画されていたら、もっとリアリティのある展示となったことでしょうね、個人的見解です)。

 

 

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今回の吹田みんぱくツアー及びシーボルトくぐって分かった余計なこと。

 

①土日祝日にはモノレール公園駅からみんぱく行きの無料シャトルバスが出ています。みんぱくで下車する際に帰りの為に「自然文化園通行券」をくれます。これを提示すると自然文化園(通常250円)にタダで入れることになります(この券はあくまでも文化園を通過する目的で配られていますので今回はその主旨どおりに利用しました・・・)。

 

②シーボルトの娘イネの私生児(孫)である高子は、それは美人であったとされ、松本零士の「銀河鉄道999」のメーテルのモデルであったらしい。へぇ~!3つ!。

 

 

 

 

2017年

9月

20日

平日の運動会

本日は地元の小学校の運動会、先週末(16日)の予定が台風の影響で翌日(17日)も延期、結局平日の今日(20日)となりました。私も招待を受けて来賓席の後方より観覧させてもらいました。

平日なので保護者席も少な目(来賓席も少な目)、来年度入学園児のプログラムもカット(参加していないので)、という少しさびしい運動会でした。が、応援合戦やリレー、ダンスを取り入れた組体操(これは素晴らしかった)など日頃の成果を存分に発揮して、清々しいひとときでした。紅白に分かれて競うことになりますが、閉会式では優勝できなかった赤組のリーダーが泣いていたのに、おもわずもらい泣きしてしまいました。運動会は昼前には全競技が終了となりました。

閉会の言葉の後、教頭先生から「うんどうかいはこれで終わりました、生徒たちは給食を食べて、昼からの授業を受けましょう」って、なに!まだ授業があるの?みんな疲れているのに、と思いましたが、平日なので、こんなものなんですかね。生徒もかわいそうだし、先生方も大変だナ。#FB


2017年

9月

13日

面白くて為になる

大学職員だった時に、通信教育課程の教材(テキスト)を開発・作成する部署にいたことがあります。昭和61年から7年間、教員からの原稿を入稿、印刷業者の見積もり、発注、校正・校閲、納品、通信学生への配本作業にあけくれる毎日を送っておりました。そんな中でも、時折、通信教育協会などが主催する研修会・講習会などに出張することがありました。思い出すのは東京で開催されたメディア・教材関係の研修でした。出版分野だけではなく、ビデオ教材などの開発に関する内容だったと思います。

数年前に亡くなられた俳優の阿藤快さんだったと記憶するのですが、ドラマや演劇でのセリフの言い回し、発音・発声などについての講演があって、とても面白かったこと、またNHKのディレクターさんが、小津安二郎の「東京物語」を題材にして、カメラワーク、構図、場面展開の法則などについて説明があったのには、仕事(出張)で来ていることを忘れて、自分自身が興味津々となったことも思い出します。

そんな研修メニューの中に、講談社の講師の方が話されたことが特に印象に残っています。その講師は、絵本や小学校の学習教材を例にして、本と言うのは「おもしろくて為になる」ものでないとダメなんです、その反対の「為になっておもしろい」ではいけない、その順番(①おもしろい、②為になる)が大事なんです、と言われました(ずいぶん前のことなので正確には覚えていないのですが、主旨としてはそういうことでした)。これは幼児向けの本のことだけでなく、あらゆる本、教材、番組、コンテンツにも共通することなんだろうな、と思います。

同様の文言が、本日幼稚園に立ち寄った際に、もらった園児募集のポスターに掲載されていたものですから、30年ほども昔の研修のことを思い出したのです。

 

2017年

9月

08日

岡本太郎作「明日の神話」

先月、東京に立ち寄った際、渋谷駅で下車したついでに、せっかくだから岡本太郎作「明日の神話」を見に行ってきました。渋谷マークシティの連絡通路にに鎮座する大迫力の壁画です。太郎は制作にあたり1954年の第5福竜丸が被ばくした際の水爆炸裂の瞬間をテーマにしたということです。願わくば、この壁画が事故や戦火にまみれることなく永遠に、この場所で異彩を放ってほしいものです。

ウィキペディアには、制作から渋谷駅通路に設置されるまでの沿革が記載されているので、参考に引用しておきます。

<沿革>

1967年 - 岡本太郎が「メキシコシティ中心部で建設計画中のホテルに壁画を描いてほしい」と依頼を受ける。

1968年 - 製作開始。大阪万博の作品と並行して取り組み、岡本は日本とメキシコを何度も往復したという。

1969年 - ホテルロビーに壁画を仮設置後、最終仕上げに入ったが、依頼者の経済状況が悪化し、そのまま放置され、行方不明になる。

2003年 - メキシコシティ郊外の倉庫で発見、パートナーの岡本敏子が真贋を確認。

2004年 - 岡本太郎記念現代芸術振興財団内に再生プロジェクト事務局が発足、壁画修復が本格的に始動。

2005年 - メキシコにて壁画を解体、梱包後、岡本敏子が急逝。7月から愛媛県東温市で修復作業が始まる。

2006年 - 6月に修復が完了。7月7日、汐留日テレプラザにて報道陣に公開。翌日に東京汐留で一般公開。

2007年 - 4月から東京都現代美術館で特別公開。

2008年 - 10月17日、京王井の頭線渋谷駅連絡通路に恒久設置。11月17日に除幕式、一般公開開始。

 

 

2017年

8月

31日

青函連絡船

撮影日:2017.8.26.
撮影日:2017.8.26.

いまから34年前になります。昭和58年の夏、後輩と2人で北海道ツーリングをしました。行きは陸路、京都から北陸を経由、新潟・山形・秋田を通り青森まで、2日間かかりました。青森では、ちょうど「ねぶたまつり」の最中で、大太鼓の迫力とラッセーラッセーと跳ね踊る人たちの熱気に感動したものです。その後、青函連絡船のフェリーで北海道に渡り、ほぼ1周して、帰りは小樽から敦賀までフェリーで丸一日の船旅で終えた思い出があります。

 

先日、仙台で研修の同窓会(ポポロの会と命名しています、毎年開催し今年で16回目になりますので17年前の研修ということです→写真のページ参照)があり、宴会の前々日から少し足を延ばして青森・弘前方面に行きました。青森駅付近もすっかり整備され美しい駅舎が迎えてくれました。今は青函トンネル、新幹線開通などで青函連絡船は廃止されていますが、その最後となった八甲田丸が、往時の資料などを展示して見学できる施設になっていました。昭和の時代を感じさせる展示物に郷愁がありました。

↓昭和58年夏・青森駅あたり

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