旅の始まりと終わり・・・・駅(STATION)

このサイトの最終章として、出会い・別れ・出発・帰宅・・・・いろんな人間ドラマの舞台となる全国の「駅」を紹介いたします(通勤に利用している駅を含み、関西のローカル線が多いですが)。これまでに私が訪れ、撮影した駅ばかりですが、ふたたび訪れたい場所です。駅にはそんな魅力があります。なんでかなぁ?!  ・・・・路面電車のある風景

 

改札口を出入りする人々(京都駅・亀岡駅)

◆JR嵯峨野線(京都駅~園部駅)

       園部駅(京都府南丹市)

       八木駅(京都府南丹市)

上の写真は旧駅舎です。

 

旧駅舎は、令和元年に取り壊されて、新たに橋上駅として令和3年4月から新駅舎が使われております。

      千代川駅(京都府亀岡市)

       並河駅(京都府亀岡市)

       亀岡駅(京都府亀岡市)

昔の亀岡駅

       馬堀駅(京都府亀岡市)

       保津峡駅(京都市西京区)

       嵯峨嵐山駅(京都市右京区)

昔の嵯峨嵐山駅(出典不明)

       太秦駅(京都市右京区)

       花園駅(京都市右京区)

昔の花園駅(出典不明)

       円町駅(京都市中京区)

       二条駅(京都市中京区)

昔の二条駅

↓ 現在は京都鉄道博物館の出口に(その前は入り口でした)

       京都駅(京都市下京区)

昔の京都駅(出典不明)

 

「夢」芥川龍之介

わたしはすっかり疲れていた。肩や頸(くび)の凝(こ)るのは勿論、不眠症もかなり甚しかった。のみならず偶々(たまたま)眠ったと思うと、いろいろの夢を見勝ちだった。いつか誰かは「色彩のある夢は不健全な証拠だ」と話していた。が、わたしの見る夢は画家と云う職業も手伝うのか、大抵(たいてい)色彩のないことはなかった。わたしはある友だちと一しょにある場末(ばすえ)のカッフェらしい硝子戸(ガラスど)の中(なか)へはいって行った。そのまた埃(ほこり)じみた硝子戸の外はちょうど柳の新芽をふいた汽車の踏み切りになっていた。わたしたちは隅のテエブルに坐り、何か椀(わん)に入れた料理を食った。が、食ってしまって見ると、椀の底に残っているのは一寸(すん)ほどの蛇(へび)の頭あたまだった。――そんな夢も色彩ははっきりしていた。

 わたしの下宿は寒さの厳しい東京のある郊外にあった。わたしは憂鬱(ゆううつ)になって来ると、下宿の裏から土手(どて)の上にあがり、省線電車の線路を見おろしたりした。線路は油や金錆(かなさび)に染った砂利(じゃり)の上に何本も光っていた。それから向うの土手の上には何か椎(しい)らしい木が一本斜めに枝を伸ばしていた。それは憂鬱そのものと言っても、少しも差(さ)し支つかえない景色だった。しかし銀座や浅草よりもわたしの心もちにぴったりしていた。「毒を以て毒を制す、」――わたしはひとり土手の上にしゃがみ、一本の煙草をふかしながら、時々そんなことを考えたりした。

(以下省略)

底本:「芥川龍之介全集6」ちくま文庫、筑摩書房 1987(昭和62)年3月24日第1刷発行    <青空文庫より引用>

 

 

 

◆嵯峨野観光鉄道(トロッコ嵯峨駅~トロッコ亀岡駅)

       トロッコ亀岡駅

       トロッコ嵐山駅

嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)の車窓風景

JR嵯峨野線(旧山陰線)千代川~嵯峨嵐山 の運転室車窓

DATA:JR嵯峨野線(京都~園部間)の複線化の時期

京都駅⇔2009年7月20日⇔丹波口駅⇔2010年1月31日⇔二条駅⇔1996年3月16日⇔花園駅⇔2010年3月7日⇔嵯峨嵐山駅⇔1989年3月5日⇔馬堀駅⇔2008年12月14日⇔亀岡駅⇔2009年11月1日⇔並河駅⇔2009年9月6日⇔八木駅⇔2009年3月14日⇔園部駅

 

◆京福北野線(白梅町駅~帷子ノ辻駅)

       北野白梅町駅(京都市北区)

       御室仁和寺駅(京都市右京区)

       常盤駅(京都市右京区)

◆JR京都線(京都駅~大阪駅)

       山崎駅(京都府乙訓郡大山崎町)

◆JR北陸本線(米原駅~直江津駅)

       金沢駅(石川県金沢市)

◆阪急・宝塚本線

       宝塚駅(兵庫県宝塚市)

◆阪急・京都線

       大山崎駅(京都府乙訓郡大山崎町)

◆大阪モノレール線

       万博記念公園駅(大阪府吹田市)

       南茨木駅(大阪府茨木市)

◆JR山陰本線

       福知山駅(京都府福知山市)

◆JR山陽新幹線(新大阪駅~博多駅)

       岡山駅(岡山県)

       備中高梁駅(岡山県)

◆JR紀勢本線(きのくに線:和歌山駅~新宮駅)

       紀伊田辺駅(和歌山県田辺市)

◆JR新幹線(JR九州 在来線)

       博多駅(福岡県福岡市)

 

この線路(駅)から、列車は人々を乗せて何処へ・・・。

◆JR草津線(草津駅~柘植駅)

       柘植駅(三重県伊賀市)

◆JR琵琶湖線(米原駅~京都駅)

       安土駅(滋賀県近江八幡市安土町)

◆JR関西本線(名古屋駅~難波駅)

       伊賀上野駅(三重県伊賀市)

「桑名の駅」中原中也

 

桑名の夜は暗かつた

蛙がコロコロ鳴いてゐた

夜更の駅には駅長が

綺麗な砂利を敷き詰めた

プラットホームに只(ただ)独り

ランプを持つて立つてゐた

 

桑名の夜は暗かつた

蛙がコロコロ泣いてゐた

焼蛤貝やきはまぐりの桑名とは

此処のことかと思つたから

駅長さんに訊(たづ)ねたら

さうだと云つて笑つてた

 

桑名の夜は暗かつた

蛙がコロコロ鳴いてゐた

大雨(おほあめ)の、霽(あが)つたばかりのその夜よるは

風もなければ暗かつた

(一九三五・八・一二)

「此の夜、上京の途なりしが、京都大阪間の不通のため、臨時関西線を運転す」

 

<青空文庫より引用>

 

 

 

◆JR加古川線(加古川駅~谷川駅)

       日本へそ公園駅(兵庫県西脇市)

◆JR福知山線(尼崎駅~福知山駅)

       柏原駅(兵庫県丹波市)

◆JR東北本線(東京駅~盛岡駅)

       福島駅(福島県福島市)

 

 そして・・・・

 

◆東京駅(すべての駅は東京駅へと続く=「上り」列車となる)

「待つ」太宰治

 

省線のその小さい駅に、私は毎日、人をお迎えにまいります。誰とも、わからぬ人を迎えに。

 市場で買い物をして、その帰りには、かならず駅に立ち寄って駅の冷いベンチに腰をおろし、買い物籠を膝に乗せ、ぼんやり改札口を見ているのです。上り下りの電車がホームに到着するごとに、たくさんの人が電車の戸口から吐き出され、どやどや改札口にやって来て、一様に怒っているような顔をして、パスを出したり、切符を手渡したり、それから、そそくさと脇目も振らず歩いて、私の坐っているベンチの前を通り駅前の広場に出て、そうして思い思いの方向に散って行く。私は、ぼんやり坐っています。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。胸が、どきどきする。考えただけでも、背中に冷水をかけられたように、ぞっとして、息がつまる。けれども私は、やっぱり誰かを待っているのです。いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。どんな人を? いいえ、私の待っているものは、人間でないかも知れない。私は、人間をきらいです。いいえ、こわいのです。人と顔を合せて、お変りありませんか、寒くなりました、などと言いたくもない挨拶を、いい加減に言っていると、なんだか、自分ほどの嘘つきが世界中にいないような苦しい気持になって、死にたくなります。そうしてまた、相手の人も、むやみに私を警戒して、当らずさわらずのお世辞やら、もったいぶった嘘の感想などを述べて、私はそれを聞いて、相手の人のけちな用心深さが悲しく、いよいよ世の中がいやでいやでたまらなくなります。世の中の人というものは、お互い、こわばった挨拶をして、用心して、そうしてお互いに疲れて、一生を送るものなのでしょうか。私は、人に逢うのが、いやなのです。だから私は、よほどの事でもない限り、私のほうからお友達の所へ遊びに行く事などは致しませんでした。家にいて、母と二人きりで黙って縫物をしていると、一ばん楽な気持でした。けれども、いよいよ大戦争がはじまって、周囲がひどく緊張してまいりましてからは、私だけが家で毎日ぼんやりしているのが大変わるい事のような気がして来て、何だか不安で、ちっとも落ちつかなくなりました。身を粉にして働いて、直接に、お役に立ちたい気持なのです。私は、私の今までの生活に、自信を失ってしまったのです。

(中略)

いったい、私は、誰を待っているのだろう。はっきりした形のものは何もない。ただ、もやもやしている。けれども、私は待っている。大戦争がはじまってからは、毎日、毎日、お買い物の帰りには駅に立ち寄り、この冷いベンチに腰をかけて、待っている。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。私の待っているのは、あなたでない。それではいったい、私は誰を待っているのだろう。旦那さま。ちがう。恋人。ちがいます。お友達。いやだ。お金。まさか。亡霊。おお、いやだ。

 もっとなごやかな、ぱっと明るい、素晴らしいもの。なんだか、わからない。たとえば、春のようなもの。いや、ちがう。青葉。五月。麦畑を流れる清水。やっぱり、ちがう。ああ、けれども私は待っているのです。胸を躍おどらせて待っているのだ。眼の前を、ぞろぞろ人が通って行く。あれでもない、これでもない。私は買い物籠をかかえて、こまかく震えながら一心に一心に待っているのだ。私を忘れないで下さいませ。毎日、毎日、駅へお迎えに行っては、むなしく家へ帰って来る二十の娘を笑わずに、どうか覚えて置いて下さいませ。その小さい駅の名は、わざとお教え申しません。お教えせずとも、あなたは、いつか私を見掛ける。

底本:「女生徒」角川文庫 1954(昭和29)年10月20日初版発行 <青空文庫より引用>

 

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