ギタリストベスト100

『ギターマガジン』見ながらYoutubeで聴いております
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 『ギターマガジン』という雑誌があって、最新号に「ニッポンの偉大なギタリスト100」という特集があることをネットで知り、少し気になっておりました。本日、たまたま市内の本屋に立ち寄った際に、それが置いてあり、どうしようか迷った挙句、買ってしまいました(貧乏生活に突入しているのにアカンアカンと思いつつ・・・・)。1位から100位までのランキングには、一般読者ではなく、300人近いプロのギタリストや音楽関係者が投票した結果だそうで、ファンなどによる偏った得票なども無いようでした。まさにホンモノの実力・クロウト受けする人気のギタリストということになるのでしょう。

 

ギターを少したしなむ私として(は、おこがましすぎるので)というより、レコード・CDコレクターとして、いろんなミュージシャン、特にギタリストのランキングが所有アルバムなどとの関係で気になるところです(ややこじつけですな)。そのすべてのランキング詳細については、こんなところで公開してしまうと、雑誌が売れなくなるでしょうから、気になった、お一人だけ書かせていただきます。

 

それは、16位に入っている大村憲司さん(1998年急逝)です(これくらいバラしてもいいでしょ)。大村さんは、神戸出身で、私より6つほど上の世代の方だったのですが、ギタリストとしての経歴・テクニック・人柄等々、すごい方なのです。私は、かっこいいギタリストとして以前から知っておりましたし、数回、直接見て、聴いたことがあります(その時に知っていたかは別ですけれど)。

 

その最初は、私が高校生の頃でした。地元にあった亀岡会館というコンサートホールにフォークグループの赤い鳥が来る、ということで、高校の先輩からチケットを買わされて行ったステージです(たぶん1972年ころ)。当時、赤い鳥といえば、「竹田の子守唄」や「翼をください」などを混声コーラスで歌うフォークグループというイメージでした。それなのに、その日、私が聴いたステージ上の赤い鳥は、とてもフォークソングというものではありませんでした。ドラムス、ギターなどのフルバンドを従えて、エネルギッシュに歌う、もはやロックグループでした。曲目など詳細は、まったく覚えていないのですが、そのイメージギャップだけは、はっきりと覚えています。そして今から思えば、ヤマハのライトミュージックコンテストで優勝して、海外でレコーディングし、バックバンドも付けて、ということになったのでしょう。そのバックバンドのギタリストに大村憲司さんがいたと思うのです(ちなみにドラムは村上ポンタさんだった)。ロック化した赤い鳥は、ほんの一時期だけだったようですが、ウィキペディアなどで確認すると、オリジナルメンバーの5人に加え、大村・村上というメンバーの加入もあったことが分かります。そんな偉大なミュージシャンが、亀岡に来ていたとはつゆ知らず、エーッ!、赤い鳥って激しいな、くらいしか思わなかったわけなんです。

 

2回目は、1977年、私、学生時代、三重県合歓の郷でオールナイトで行われた8・8ロックディでした。友人、後輩らと原付バイクで京都から鈴鹿峠を越えて約半日かけて行きました。その日の優勝メンバーはジェイムスコットンをカバーした花伸というバンドでした。8・8の通例として、アマチュアのコンテストの後は、プロのミュージシャンによるゲストライブ、セッションなどがあって、チャーリー&大村憲司グループという名前でディランの「見張り台の上から」サムクックの「ブリングイッツオンホームツーミー」を演奏していて、メチャメチャかっこ良かったことを覚えています。大村憲司さんの名前を知ったのは、この頃だったと思います。

 

3回目に見たのも8・8ロックのステージでした。これは1979年でしたので、ちょうど就職したての頃、私が住んでいる亀岡を通る国道372号線を西へ西へ行った西脇市にある滝野ローンステージでした。ここへは、現在郵便局員をしている友人と2人で軽トラック(もちろん冷房なし)で行きました。その時もコンテストが終わった後のセッションバンドが3組あって、その中でクンチョウセットというセッションバンドが組まれ、ブラックフィーリングあふれる堤さんが「ハイヒールスニーカー」などを歌っておりました。その時のギタリストとして大村憲司さんの名前があったのを知るのは、ずっと後のことになります。当時は、あのサウスツゥサウスのクンチョウや、というくらいの認識で、あとでレコード化された音源をよくよく聴いてみると、渋いギターソロ弾いていたのはクンチョウではなくて大村さんでした。

 

大村さんを直接見たのは、この3回ですが、衛星放送WOWOWでやっていた「ザ・レコーディング」という番組で、有名曲をアレンジしてセッションする固定メンバーに大村憲司さんがおられました。毎回、ドラムスの村上ポンタさんや、ベースの高水健司さんなどと一緒に渋いギター弾いておられました。さらに、もっとメジャーな仕事としては、YMOのワールドツアーのギタリストとして参加されたこと、スタジオミュージシャンとして参加したアルバム数知れず、という具合です。20年前に亡くられておりますが、そのギターワークは今も強く記憶に残るものです。『ギターマガジン』のギタリストベスト5位以内に入ってもよいのではと思います。

 

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