豊田喜一郎が描いた夢は、フォードやGMに負けない国産の乗用車を作ることだった。残念なことに目的が達成されないまま1952年に亡くなってしまうが、その3年後、彼が積み重ねた努力が結実する。“純国産乗用車”と呼べる初めてのクルマ、クラウンが誕生したのだ。
通産省の指導により、日本の自動車メーカーが選んだのは欧米との技術提携によるノックダウン生産だった。しかし、トヨタだけは自主開発路線を頑として譲らなかった。1955年1月、高級4ドアセダンのトヨペット・クラウンが発売された。・・・・トヨタ名車Historyホームページより。
日本初の国産車トヨペットクラウンが誕生した年の7月13日、私はこの世に生を受けました。それから63年後、今現在の私がおります(写真は、そのミニカーです)。
フェイスブックに登録している関係で、たくさんの方からお祝いのメッセージを頂きまして嬉しいとともに、恐縮至極、私も友達がまぁまぁ多いこともありまして、ほぼ毎日のように「今日は・・さんの誕生日、・・さんへメッセージを送りましょう!」というお知らせをいただいておりますが、何分律儀な性格で、一回送ったら、じゃぁ明日お知らせ来た人にも送るんかい、という自問自答が予測されまして、ほぼ1年365日の(FB上での)日課になることに恐れをなして「申し訳ない、ちょっとスルーさしてな、」という、伝わりもしない架空のメッセージを発してしる日々です。
そんな私に、律儀に送ってくださった皆様、文化人類学での贈答の習俗(頂いたらその同額かそれ以上のモノを贈り返す法則)は、適応されませんので、今後とも、この不義理、ご理解のほどお願い致します。
誕生日に言い訳してます。
フェイスブックの投稿より引用しました。