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納豆餅

 いまでこそ納豆といえば健康食というイメージで全国区の食物です。が、私の子供のころ、私の住む亀岡市西部地域では、あまりメジャーな食べ物ではありませんでした。むしろ、ネバネバとした見た目、独特の匂いなどにより、忌避されるような存在でした。もし食べたことがある子どもがいたとして、この地域の子どもは口をそろえて「あんなもん(=納豆の事)よー食うのぉ(=よくたべられますね)くさっとるやんけ(=腐ってますよ)」という反応を示します。小学生の頃、そういうやりとりを見てきた私は、実は大好物な食べ物だったのですが、自分が好きだ、食べる、という話は一切しませんでした。まるで某国で禁書を読んでいることを口外しない、みたいな状況でした(ちと大げさか)。

 

 私が好きな理由ははっきりしています。母親の実家が亀岡市北部、旭町出身で、私も小学校が長期休暇の頃は、宿題持参して、いとこ達と毎日遊んでいて、そこでは、藁つとに入れられて、程よく熟成した納豆を、より粘り気が出るように塩で味付けしてたべることが普通だったからです。当然、納豆好きになりました。また正月になれば、この記事が紹介しているような納豆餅を食べます。以前に何かの郷土料理紹介番組で京北町の納豆餅が紹介されたことがあったのですが、その際のインタビューで、地元の古老は「このへんは貧しかったので正月でも納豆餅くらいしか食べられへんかったんや」というコメントを覚えているのですが、これは自分たちの食文化をやや卑下して現代の視聴者を意識した言葉だと思います。かつては、この地域では納豆餅は、ハレの日の食べ物として、立派なごちそうであったはずです。

 

 

 この私が過ごした亀岡市北部地域は、現在の行政的には亀岡市になっていますが、文化的には、道つたいに行くことが出来る京北町や美山町とも深いつながりがあったと推測できます。そして、この京都府下における納豆文化は、現在では京北町・美山町・一部亀岡市北部に集中しています(納豆文化圏とでも称せられるかと)。そして時代をさかのぼれば、おそらく、この食文化は、京の都人の文化にもつながっていくものと考えられます。

 

Yahoo! ニュース

昔は人の顔ほどの大きさだった!?京都に伝わる『納豆餅』ってどんな料理?

 

 

 

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