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知的生産のフロンティア

私が学生時代に作成した卒論用のカード
私が学生時代に作成した卒論用のカード

 梅棹棹梅棹忠夫生誕100年記念「知的生産のフロンティア」という企画展が、大阪吹田の国立民族学博物館で開催されているというので、昨日行ってきました。当初10月20日までだったのが12月1日まで延長されるとあって、あと1ヶ月です、思いついたときに行かないとと、昨今の状況をふまえてマイカーで行ってきました。自宅からは約1時間ほどで記念公園の駐車場には到着しましたが、あいにくの日曜日とあって、なかなかの人出でした、が、エキスポシティ(大観覧車とショッピングモール)・イベント会場(お祭り広場)に目もくれず、人混みを避け、一路みんぱくへ。

 

 この企画展に興味を持ったのは、ほかでもない、私が学生時代、知的な活動には「カード(B6)」を使えという、ある種、信仰めいた風潮があり、実際、卒論の資料などを必死で辞書・事典・史料から書き写して作成した「苦い」記憶があるからです。苦い、というのは、実際の現場では、あまり有効に活用できなかったような気がするからです。私の頭では、いまひとつ「知的生産」に至らなかったのです(アホやったんです)。そのカードを発案して岩波新書『知的生産の技術』に書かれたのが、この企画展の梅棹忠夫先生です。そんなかしこい人は、どのように「知的生産」をされていたのかに興味を持ったというわけです(今更「知的生産」をするつもりはありませんが・・)。

 

 展示物には、世界各地で採集した民具などが置いてありましたが、やはり興味を引いたのは、例のカード(実際に書き込みした)やら、コザネと呼ばれた小さな紙に書かれたメモ、民族調査でのスケッチなどです。どれも細かく小さな字で書かれていて、こういった断片の情報を、梅棹先生は、机の上に並べてみたり、重ねてみたり、分類したりしながら「知的生産」を成されていたのでしょう。

 

 この展示会の解説文には「当時、パソコンも無い時代でした」というフレーズが何度も出てくるのですが、梅棹先生が机の上で成されていた作業(思索)は、現在一人に1台のパソコンを持つ時代にあっても、なかなか難しい作業、というよりパソコンを使っても出来ない「知的生産」だったのではないでしょうか(カードにあたるものをEvernoteやメモ帳等々のアプリに代えて作成したとしても扱いにくいのではと感じます)。また現代社会のインターネットを含めた情報量というものは、かつて本・文献くらいしか入手できなかった時代に比して、何十倍もの優劣混交の情報であふれています。

 

 そんなことを考えさせる企画展でした。ちなみに来年1月から京都大学総合博物館で、今回の資料に加えて、京大関係の資料も追加しての特別展が開催されるようですので、知的生産に関心のある方はお知りおきください。

 

 

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