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歴史学とテキスト

 大学で歴史学を専攻する場合、史料(資料ではありません)を読むことが必須の力量として求められます(対象としている時代にもよりますが)。日本史の場合は、古事記・日本書紀などの古代文献から、鎌倉・室町時代の荘園や幕府関係の中世文書、江戸時代の近世文書・地方で発掘される地方文書、等々です。また中国史などに至っては、歴史書や文学(いずれも漢文)などが、膨大な物量として存在しています。

 半世紀近く前に歴史学を学ぶ学生だった私は、前述したように、その史料に悩まされました。歴史の思想や背景を学ぶ「概論」や「概説」の類いは、ノートしたり参考書を読めば大方理解できますが、「史料講読」「演習」「研究」の講義では、歴史上に記された古文書(活字化されたものから原本のくずし字の写真史料など)がテキストになります。有名な古文書になれば、読み下し文や解釈などを別途探すことも可能ですが、地方村方文書などの原本がテキストの場合は、字鑑というくずし字事典を置きつつ解釈しないといけません。(一念発起して古文書・くずし字の若手の先生に頼んで、友人と2対1の勉強会をしていたのですが、そんな接近戦の中、どうしても睡魔に勝てずテキストをバサッと落として目が覚めた苦い思い出があります)

 ところが、そんな王道的な講義の中に、異色な講義がありました。一つは、東洋史の森鹿三先生の演習だったか、林屋辰三郎『京都』(岩波新書)がテキストの講義です。内容的には、この新書に書かれている平安京の様々な歴史地理的な説明、そこに出てくる語彙・地図等々について、さらに深く読み込んでいくというものでした。もう一つは、私が専攻しようとしていた民俗学の竹田聴洲先生の演習。テキストは柳田国男『地名の話』(角川文庫)でした。先述の講義と同様、このテキストを単に読んでいくだけではなく、文中に出てくる民俗語彙や事象を徹底的に追求します。民俗学ですが、歴史学、地理学の分野の知識も援用して、地名の成り立ちを理解する、というものでした。

 この写真の著者の網野善彦さん(1928〜2004)は、中世史の歴史研究者です。この本のタイトルにある『忘れられた日本人』の著書である宮本常一さんには大いに影響を受けたとされていますが、直接、薫陶を受けたことは少なかったといいます。2人のむすびつきは(大河ドラマ主人公の孫)渋沢敬三の創設したアチックミュージアム、神奈川大学に移管した日本常民文化研究所で、同時代を過ごしているのですが、なにしろ宮本氏は旅する巨人(地球4周分の全国行脚)でしたので、遭遇する機会は少なかったでしょう。けれども網野氏の研究(中世史)にはしっかりと宮本常一さんの視点、思想が反映されています。この本は、『忘れられた日本人』を解説する体をなしつつ、そこから失われつつある日本の中世を掘り起こすような内容になっております。

 網野さんは、一時期、神奈川大学短期大学部で、この『忘れられた日本人』をテキストにして講義をされたことが書かれています。はじめの頃は、女子学生が、少し前まで日本で使われていた道具(例えば「炭焼」「火箸」「五徳」)について、まったく知らないことに驚くとともに、それでも「今の若者」の視点から気づかされることも多く、学生たちの純粋に言葉を調べることを通じて共に学んだことが書かれています。

 現代に出版されている書物から、それを歴史学や民俗学のテキストとするべく、深く読み込んでいく、約半世紀前に、私が経験した講義を思い出させるエピソードでした。

 

 

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