2ヶ月ほど前、兵庫県小野市の学術政策員の方からメッセージが届き、私のホームページに掲載している民俗行事・亥の子の写真を、小野市の広報誌の自分のコラムで使わせてもらえないか、ということでした(この写真は私が卒論の資料として撮影した40年以上前のものですが、亥の子行事が現在では見られないので使わせてほしいという事でした)。そんなことならどうぞお使い下さいと返答して、昨日、その記事の掲載された広報誌が送られてきました。実は、その学術政策員の方は、私より一回りほど上の年齢で、大学時代、竹田聴洲先生のゼミ生だったとの事。たまたまインターネットで、私のサイトを見つけたと書いてありました。大学卒業後は新聞記者をし、退職後に小野市の広報誌に歴史的なコラムを執筆されているそうです。インターネットがなければ、知り合えなかったようなことがあるんですね。