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宮沢賢治の銀河鉄道の夜

 

 私の地元で開催されている「京都丹波夢ナリエ」、今年で十年目を迎えております。例年、夏に開園している「ききょうの里」の園内、桔梗の花の群生する花壇などのスペースを活用して、11月下旬から12月末までの間、イルミネーションを装飾して、来場者を楽しませています。

 

今年は、このイベントに異色のコーナーがあります。

 

 受付を通過して、いよいよここから始まる、という場所に「宮沢賢治・銀河鉄道の夜」というテーマで、鉄道玩具のジオラマと、その汽車の目線から撮影されたジオラマの線路・風景の動画が展示されています(この写真)。

 

 今年のコンセプトとして「会場入口付近に鉄道玩具を加工装飾したイルミネーションを設置して宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」をイメージし、来場者が汽車に乗ってさまざまな国を旅する旅人となり、魚などのイルミネーションで彩られた海の国、番傘を使ったイルミネーションを並べた傘の国、竹林を幻想的にライトアップした竹の国、サンタクロースやクリスマスツリーなどのクリスマスイルミネーションで飾られたメルヘンの国の4エリアを訪れ、夢の国「夢ナリエ」を旅するコンセプト」

 

とニュースリリースされています。「銀河鉄道」という乗り物に乗って、いろいろな装飾を施したエリアを「旅」してもらう、その為のプロローグ、導入部分として、このジオラマが設置されています。このイベントが開催されている「ききょうの里」と、賢治の「銀河鉄道の夜」を結びつけたのは、賢治の小説に数回出てくる「桔梗色の空」という言葉です。

 

 宮沢賢治、小説『銀河鉄道の夜』のファン、あるいは大学などで勉強している人からすれば、この小説に描かれている世界観と、今、イルミネーションで楽しむことの出来るイベントの趣旨が、少し違うのではないかと思われるかもしれません。確かに『銀河鉄道の夜』では、主人公の孤独な少年ジョバンニが、夢の中、別世界で、鉄道に乗って、旅をして、いろいろな人と出会う、経験する、という話は、その設定だけをとらえれば、現実のイルミネーションの世界を体験する(旅する)という点で共通しているところがあります。しかし小説の世界観とは違うだろう、というのが正直なところです。

 

 ただ、この展示は「桔梗色」という共通項を最小公約数として、少しでも地域のイベントを盛り上げようと企画されたものです。私は、あえて、この楽しげな、明るいイベント会場に展示されたことで、宮沢賢治の小説『銀河鉄道の夜』を知る契機となることのほうが大切なのでは、と感じるのです。実際、私も改めて小説を読んでみて、宮沢賢治の言いたいことは何なのか、という疑問・感想を持ちました。またネットなどでは、その小説の内容を巡ってさまざまな解釈がなされています。なにしろ『銀河鉄道の夜』は、賢治が存命中に執筆した小説とはいえ、完成をみないまま、何度も改稿を重ね、未完の大作と言われ、また賢治の死後も、関係者により章立てなどで修正が加えられているといいます。

 

 よく言われているのが、主人公と友人・カムパネルラとの交流を通して、ほんとうの幸せ、というものが、自分を犠牲にして他人に尽くす、といった自己犠牲の精神なのではないか、というものです(賢治の人生観・宗教観と関連することとなっています)。その関連したエピソードがいろいろな場面の中で登場してきます。そして小説のなかには、そういったエピソードを補完するアイテムも出てきます。

 

 そのアイテムが、ここ「京都丹波夢ナリエ」のプロローグ、「銀河鉄道の夜」鉄道模型ジオラマの各所に配置されています。「南十字星」「鳥」「印刷機・印刷所」「タイタニック号」「化石」「牛・ミルク」などです。おそらく一度でも小説を読んだ方は、この展示物が何を意味しているのか理解できるはずです。またこの展示を見て、そして各々のアイテムの印象が記憶され、将来、この小説に出会った時、この時の映像が思い起こされるかもしれません。

 

 会場を訪れる多くの家族連れの人々、おおかたの反応は「おお!、このジオラマオモロイな」「楽しいな」、子どもたちも「電車、電車!」というものですが、どこかで、そしていつか、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出会ってくれることを期待せずにはいられません。そんなところに今回の展示の意義も見出されるものではないでしょうか。

 

 

 

京都丹波夢ナリエのホームページ

 

 

 

 

 

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