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ウェストロードブルースバンドの思い出

その年のアルバムジャケットより
その年のアルバムジャケットより

 昨夜の高円寺ジロキチのライブ配信は、ブルースザブッチャーに、ギタリストの山岸潤史が加わり、普段とは違った重厚なものでした(ギターがもう一本加わると一段とこのバンドのグレードがあがります、が、そこはこのバンド名の由来となっている「故・浅野祥之」氏の存在を終生尊重していく姿勢からして新たなギタリストはゲストのみ、ということになるかと思います→あくまでも私の見解です)。

 

 そしてボーカルのホトケさんと山岸さんは、かつて関西を中心として活躍していたウエストロードブルースバンドのメンバーで、昨夜も、その時のエピソード(西部講堂でのケンカ、ライブ中止騒動等々)を楽しそうに話されていました。しかも若手のコテツさんも絡んで、その上、めっぽう古い話をよく知っていて、場を盛り上げていました。このライブは、トークも最高です。

 

 さてさて、私が、この伝説のバンドを初めて見たのは、1976年、大学2回生の時、大阪万博跡地のお祭り広場の野外ステージでした。その数年前より始まった関西若手ロックバンドの登竜門である「8・8ロックディ」でのゲストバンドとして出演していました。当時は、ブルースやソウルは、関西でも大きな潮流となっていましたが、私は、ちょっとメジャーになりつつあった上田正樹&サウスツゥサウスくらいしか知らなかったのです。で、このステージ、やや高めの舞台に上がったウエストロードブルースバントです、登場するや、客席からの声援やら野次・・・、そして超、長髪のホトケさんは、それらに応えるように挑発し、威圧感がありました。演奏内容としては、ブルースのカバー曲がメインですが(そんなことは後に知ることで、その曲がどういう由来の曲であるかについても当時はまったく知りませんでした)、時に日本語の歌詞を挿入したり、あるいは放送禁止用語を連発したり(お客さんも分かっていて野次を飛ばします)と、いままで聴いてきた、どんなバンドにも無いような、ちょっと怖いような、魅力的な雰囲気がありました。もう半世紀近い前のことなのに、しかもデジカメもないし、レコーダーもないのに、しっかりと目と耳に焼き付いています。

 

 

 

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